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山田詠美「私のことだま漂流記」

平積みで見つけた久しぶりの山田詠美。「ぼくは勉強ができない」以来なのでかれこれ30年ぶりの彼女なのだ。取り立てて理由はない。いろいろ漁っているうちにいつの間にか離れてしまい気付いたらお互いに60歳を過ぎていた(1959年生まれどうし。学年は彼女が1つ上)。

「私のことだま漂流記」の帯には「記憶の結晶を綴る本格自伝小説」とあるが、登場人物も実名のほぼ自伝。「あの頃」の喜怒哀楽を振り返りながら小説家としての矜持や人間としてのありようが綴られる。

山田詠美という人とは、肌感覚が近そうな気がする。肌感覚とは、空気や風の感じ方というか、例えば怒りや喜びの沸点が似ているというか。考え方がどうのとか、趣味嗜好がどうとかいう話ではなく。いわんやライフスタイル(便利で空疎な言葉)や生い立ちおや。だいたいあんなワイルドライフを送る胆力など、こちとらには爪の垢ほどもない。

「ベッドタイムアイズ」で芥川賞候補、「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」で直木賞。直木賞受賞者でありながら、芥川賞選考委員。そもそも山田詠美という人はどんなイメージで見られているのだろう。黒人好きの尖がったおばさん位の目で見ている人はまだ一定数いるのだろう。世間様はそう簡単に変わらない。

あこがれの宇野千代に会いに行くときの彼女が微笑ましい。その時ドレッドヘアーだった髪型を必死に押さえて引っ詰め髪にし、女教師ばりの紺地のワンピースで自宅へ向かう。名だたる先生方の一言に感涙の涙を流す。熱血ポンちゃん(彼女のニックネーム)はなんと多くの作家先生のお歴々(男女を問わず)に愛されているか、この自伝を読むとよくわかる。それは人間としての彼女の奥行きに他ならない。

一方でバブルの頃を、安部譲二や山田詠美を引き合いに「塀の中とか、六本木ぶらさがりとか、異常体験がもてはやされる時代」と断じたジャーナリスト(元毎日新聞編集委員・内藤国夫)を彼女は今も許していない。時代をスルドク切ったつもりの近視眼。怒りは許し忘れていいものと持ち続けなければならないものがあるのだ。

攻撃ありきのヒステリックな「闘士」の面々に比べ、彼女の闘いがどれだけ力強くしなやかか。人間にとって「お行儀」なんかどうでもいい、と思う。大切なのは「行儀」なのだ。「お行儀」はしょせん人目、「行儀」は自分に課す作法。だから一朝一夕では身につかない。人は易きに流れる。

見出しの画像は、本にはさまれてきた黒田征太郎イラストのポストカード。表紙絵にも使われています。

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