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軍都としての城下町・佐倉

多少なりとも残っている城下町の面影をたよりに、少なからぬ人が歴史散策に訪れる佐倉の街も、明治以降は陸軍の歩兵第二連隊(のち水戸に転営)、歩兵第五十七連隊が置かれた軍隊の街だった。訪れる人も「葵の時代」に思いは馳せても「菊の時代」のこの地を思い浮かべる人はまれだろう。国立歴史博物館が建ち、桜や紅葉、菖蒲と四季折々に人々を楽しませている城址公園も、その駐屯地として終戦まで「いくさに人々を送り出す」拠点だった。古くは日清・日露戦争、第二次大戦では大岡昇平の小説でも知られるレイテ島へ。

城址公園には、だからそこかしこに軍の遺構がひっそりと残っている。見出し画像は「跳下」訓練用の12階段。菖蒲田の片隅に「ぼつねん」と佇んでいる。要するに飛び降りる練習で、訓練の様子も写真にある。インターネット黎明期だったか、まだ公園が整備される前、一帯が鬱蒼と木々に覆われていた頃「佐倉に処刑用の13階段がある」と話題になり、その手のマニアが探検にやって来たりもした。残念ながら1段違うし。今はそこに腰を下ろし弁当を広げる人もいるから、さぞや階段も戸惑っているに違いない。

城址公園脂油庫

上の写真は「脂油庫」といい、小銃や機関銃の手入れ用の油を保管していたという倉庫。残念ながら中は見られない。

城址公園便所跡

土台のみだが「兵営の便所跡」なんていうのもある。近くの集落では連隊と契約し下肥・馬糞の払い下げを受け汚物掃除を担当していたらしい。

佐倉連隊

残された写真資料などから、兵営での生活や訓練の様子を垣間見られる。水木しげるの「総員玉砕せよ!」や「敗走記」の絵が浮かんできた。小便しながら無駄話でもしていようものなら「きさまら、たるんでいる!ビビビビビ」とあの擬音が炸裂したのだろうか。

「西の長崎、東の佐倉」と言われた蘭学の地・佐倉も、軍都の顔はあまり語られない。ダークサイドのように扱われるが、佐倉は軍靴の響きとともに歩んできた街といって過言はない。自治体やメディアがあまり喧伝しない歴史の地層に目を向けると、街歩きは間違いなくより面白くなる。


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