エミール・ガレとついでの渋谷。
渋谷区立松濤美術館で開催中のエミール・ガレ展へ。妻と学生時代からの共通の友人(女性)の3人。ガレは妻がお気に入りの作家で「ぜひ観たい」というリクエストに応えて。松濤美術館にはまだ行ったことがなく、オットにもいい機会だったのだ。白井晟一という人の設計によるその建物でも知られている。花崗岩の外壁に木が効果的に使われた大きなフェイス、狭い入口が異空間への手招きをする。区立としては破格の予算が投じられたという建物は、閑静な住宅街という立地と敷地の狭さを逆手にとって、個性的な中にも様々なアートに対応できる柔軟性と懐の深さを感じさせる。
これまで何回か旅先でガレの作品を観たことはある。植物や昆虫、動物を多くモチーフにしているが、改めてみても美しいだけではない気品と妖しさに思わず感嘆する。文学、鉱物、植物などにも造詣の深かったガレという人物にしか表現できない美のカタチなのだろう。その一点一点にある物語性に惹きつけられながら見て回る。乱歩の「押絵と旅する男」を思い出したりして。危ないあぶない。
美術館を出てすぐそばにある鍋島松濤公園で気分転換。水車小屋のある小さなオアシスのような公園だ。旧佐賀藩主の鍋島家の屋敷地だったところを関東大震災を契機に分譲したのが住宅地・松濤のはじまりらしい。公園は鍋島家の湧水池があったところに作られている。
松濤から谷底の渋谷へ。この前渋谷に来たのはいつだったかも忘れてしまった。スクランブル交差点はさらにひどい状態になっている。芋洗いとはこのことでまさにみんな転がり落ちてきた顔のない芋たちだ。その芋の一つにならなければ駅にはいけない。再開発でどう生まれ変わるのかはわからないが、今ははっきり言ってただの吹きだまりだ。「常に変貌し続ける」と言えば聞こえはいいが「そうしないといられなくなってしまったジャンキー」のような街なんじゃないかという気がする。