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出目金の日常。横浜在住。

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最近の記事

あの日に消えた、2つのチョコ。

バレンタインデー 当日。 小学生の頃に、遡る。 出目金の姿を〝人生の最期〟に 目に映した同級生の男の子を思い出す。 親でもなく、仲の良い男友達でもなく、 それは、同じクラスの女の子だった。 柔道着を纏った少年は、 好きな男の子に渡すチョコレートを持ってソワソワしながら家を出た女の子と 偶然にも、あの場で、会った。 そして、あの場で、別れた。 その場所で、事故に遭った。 最期に交わした〝バイバイ〟 は、 2月のカラッと渇いた空気に 吸い込まれていった。 チ

    • 1990年代

      全体的に気怠い空気を纏った1990年代の街並みは、 生きるのに、ちょうどよいと感じた。 1990年代に生まれた、 出目金の目に映った世の中は、そんな印象であった。 重さを誰しもがコーティングされた様に、 必死に生きない惰性を帯びたものがあった。 街中は汚かった。 4歳の子どもでも、 この店は如何わしい処だ と、解るほどの  欲が足元に渦巻いてる印象が、 今でも憶えている幼少期の世界。 パチンコ店には、子どもがいる事が当たり前。 景品の周りに群がる子どもたちに話

      • 夢を壊さない景色

        夢を壊さない景色がそこにはある。 それは、ふと足を運んだ旅先で。 それは、たまたま訪れた新しい土地で。 それは、不可思議に見た夢の中で。 それは、偶然人生に現れた人で。 我慢は美徳ではない、 だが、人である以上多少の我慢は必要とされる。 それは、自分を壊さないでいられる我慢なのか。 ひとりになる時間、 何にも誰にも影響されないたったひとりの 自分と向き合うための空間。 そこで、その我慢は自分を生かすものになるのか、 が判ると思っている。 必要な我慢は、自

        • 出目金のなりたち。

          中学一年生の頃、都内の女子校に通っていた出目金が出会ったのは【氷点 三浦綾子】の一冊の本だった。 生まれながら、高度な感覚処理感受性を持ってしまった気質の人間らしく (生きにくさを感じていた部分があった) そんな出目金にとって、その出会いは衝撃だった。 そこから、文章の美しさに触れ、 見えない情景を思い描き、 感動を覚えた高校生の頃、 顔も名前も何もかも伏せ、ブログを始め、読者がついた。 何も面白味がなくとも それを思い出し、 綴ることは、自分の一種の精神安定剤