1990年代
全体的に気怠い空気を纏った1990年代の街並みは、
生きるのに、ちょうどよいと感じた。
1990年代に生まれた、
出目金の目に映った世の中は、そんな印象であった。
重さを誰しもがコーティングされた様に、
必死に生きない惰性を帯びたものがあった。
街中は汚かった。
4歳の子どもでも、
この店は如何わしい処だ
と、解るほどの
欲が足元に渦巻いてる印象が、
今でも憶えている幼少期の世界。
パチンコ店には、子どもがいる事が当たり前。
景品の周りに群がる子どもたちに話しかけられ、
こんな所に居ることをこの子たちは、
恥じないのかな、
よくも元気にも話しかけられるな、
小さいながらも羞恥心を抱いた。
出てくる球の衝突音と引っ切りなしに台から鳴る音楽と
煙が充満し、吸える空気が濁っていて、
自然ではない髪色を背中にストレートに流した
紫色のラメを瞼にのせ、その周りを真っ黒に囲まれた目でミニスカートを履いた店員が
時代を象徴したように、そこに居た。
2022年
現在の街並みは、
どこか綺麗すぎる気がしてならない。
本当に綺麗なものが隠されてしまうくらい。
本当は汚いものが綺麗になってしまうくらい。
人も街も物もあらゆるものが、
出来過ぎていて不自然に感じるのは、
気のせいだろうか。