(一般)処世術を頼って生きていくべきかどうかの大まかな判断基準
こんにちは、
処世術下手で日々顔が歪みそうになることも多い木月まことです。
人に好感度を与えたいと思う人はやはり多いでしょう。
好感度の要因は何だと聞かれれば、人によりけりですが
笑顔であるとか、誠実さであるとかが一般的かもしれません。
またどれだけくだけてるかどうか、ユーモアがあるかどうか、本音をどれだけ表現できてるかだったり、くつろげるかどうかだったり様々でしょう。
たとえば、綾瀬はるかみたいな女性が、テレビから笑顔を振りまけば、嫌いな人もそれはいるでしょうが、フツーの意味での好感度の輪はあっという間に広がるかもしれません。
しかし、世の中一般では、「わたしは結構な数の人から好かれている人」というような自信を持てる人は多分少数派で
「わたしは嫌われている」いや少なくとも「好かれていない」というのが実は悩みの人も多いと思います。
これは一般の人が自分のアカウントを持つようになって、いよいよ切実になってると思われます。
LINEのようなSNSですら、返信がなかったり既読がつかなかったりすると不安になる人も多いのではないでしょうか(とはいっても、全ての受信に即レスは、かなり無職に近い境遇か、すくなくともその日だけは完全フリーに近い状況でないと難しいでしょう)
このようにSNS時代は、それがなかった昭和とかとくらべて必然的に、自己肯定感を持ちにくい、またはそれが不安定な時代といえそうです。
しかしこういった時代ですら、好感度を与えることに成功している人が多いのも事実
そこで好感度を与えることに自信が持てない人の多くは、結局、自分は処世術一般が上手くないのではないかということに思い当たることが多いでしょう。
これは会社など一般の職場でもいえることでしょう。
しかし、では自分はそこで処世術を磨くべきかどうかについて、大まかな基準みたいなものがあるのではないかと思ったのが今回の記事の執筆動機です。
さて、では自分は(あなたは)一般処世術をはたして頼れる人なのかどうかについての判断基準に関する、またしても個人的試論になりますが、興味ありましたら、この先もお読み下さい。
私の考えでは大まかにふたつあります。
ひとつ目です。
挨拶を、どう受け取られることが多いか?
これは、とにもかくにも、まず一応挨拶を試みたことがあることが前提なので、挨拶なんかは人生でそもそもしたことがない、というようなスゴイ人は除きます。
挨拶をすると、ウザイ!と思われたり
なんか義務っぽくてイヤだよね、とか
挨拶が却ってマイナスになったことが多いというは、これは処世術を頼るのに向かない人ではないでしょうか。
律儀な挨拶にどちらかといえば好感を持つ人も何割かいます。
僕も、職場で初期に買った不信を、徹底的な挨拶である程度払拭した経験があります。
礼儀の類いを欠かすのに鬼のようにおっかない人もいます。
年賀状のように挨拶を欠かすとそこで切れてしまう関係もあります。
無論、逆の場合もあります。
「オレは(わたしは)フランクさを好むぜ!」みたいな人もいるでしょうし
挨拶の何割かは、ある程度時間が経つと、それ以上に移行することを期待さることもあります。
挨拶で失敗する人の多くは、この辺の察知がうまくないのです。
距離感や対象、頻度やフランクさの選択が下手なのです。
考えないとわかりませんし、考えた挙句失敗するのです。
丁寧に建前を並べ立てた方がよいのか、ぶっちゃけ本音で攻めた方がよいのか分からないのです。
建前を並べた方がいい場面で、ぶっちゃけ本音かましまくりを結構やってしまう人とかは、今日だとまわりの10人中ひとりはその人をサイコパスだとか思ってるかもしれません。
かく言う自分もこの辺のあべこべで棒に振った関係数知れずのひとりです。
とくに実際に顔を合わすことが少ないネットの関係だとそれがより増幅する人もいるでしょう。
この辺の項目に苦手意識が強い人は、一般処世術を頼りにしても、そんなに人生境遇よくならない気がします。
無論、これは一切の挨拶を止めてしまえとか、年賀状の類いは来年から書くなとか極端なことをお薦めしてるわけじゃありません。
さてでは、ふたつ目です。
あなたは、一般処世術を頼りに世を渡れるかどうかの大まかな判別、そのふたつ目です。
これは、あなたがまだ10代だったり20代前半だと判別しにくいでしょうが、
それは、あなたが20代のうちで、その期間に正規職員(正社員)の経験はあるかどうかです。
これは結構20代であることが、わたしの考えでは肝です。
noteを読んでて、一般好感度高めの人って、ほとんど(わたしが読んだ事例に限られますが)20代のうちに正規職員(正社員)の経験が、少なくともそれを経験と呼べるくらいの期間はある人ばかりだということに気づきました。
これは繰り返しますが20代であることが肝です。
20代の10年が、何らかの理由で、引きこもりであるとか、パート、アルバイトだったとか、自営、自由業だったとか夢を目指していたとかで、正規職員(正社員)の経験がまったくないまま過ぎてしまいますと、一般好感度みたのをウリにすること、またはそれに寄り掛かるのは難しいのではないかと感じました。
もちろんこれは、タレントやインフルエンサー的な形で世に出てる人はこの限りではありませんが、
しかし、20代の10年間に正規職員(正社員)の経験が(ほぼ)まったくない人は、良くも悪しくも表現されるものにそれが出てしまうような気がしました。
僕も、20代の10年は大半が引きこもりで、正規職員(正社員)の経験まったくないですが、全ての部分にそれはでてしまうのは否めない気がしてきました。
この期間がそうだと、あとから一般好感度を糊でくっつけるみたいなことはまず無理だという印象を受けています。
noteはでは、一般好感度は必須なのでしょうか?
noteはクリエイターのための空間でしょうし、
これは個人的な印象に過ぎないはなしなのですが
noteはどちらかというと一般好感度で勝負できる人
つまり20代で(何度も言いますが、ここは肝だと思っています)正規職員(正社員)の経験がある程度ある人のほうが、どちらかといえば有利な空間なような気がします。
または仮に正規職員の経験がなくとも、そうであったとしても、一般好感度が身につくような場所に身を置いていたかです。
もちろんnoteにも完全アウトロ(-)な人もそこそこいるようですが、あんまり華々しい勝ちをしてる人は少ないようです。
さて、ちょっとはなしが逸れましたが、20代で正規職員(正社員)の経験がまったくなく終わった人は、処世術的好感度を軸に生きていくことは難しいのではないかと考えています。
もちろんこれは、そうでありさえすれば、一般処世術の一切を無視しても大丈夫だとかいってるわけじゃなく、そんな極端なことを言ってるのではないけれど(その人の才能の度合いにもよるでしょう)一般処世術で自己防御したり、それを軸に世を渡っていこうとしても実際問題として、無理が大きい割に報いが少ないのではないかと考えています。
それを軽視しても構わないんだよとは敢えて言いませんが、それとは別の軸を早晩打ち立てないといけない状況がくるのではないかと予想されます。
(あとがき)
この文を読んで、いや、わたしも20代の頃経歴としては正規職員が長かったけれど、営業職で挨拶とかは呪いたくなる思いだったし、処世術なんかにはまったく自信がない、正社員歴がどうとか関係ないという人もいるかもしれません。
もちろん個人差はあるんです。
ただ、この時期に正社員歴がそこそこあれば、一般好感度をウリにして、というか、それを前面にだして生きていくという道も十分あろだろうということです(個人差は大きいでしょうが)
また、この文で述べたように、挨拶的な次元で失敗ばかりしてるとか、20代で正規職員(正社員)の経験皆無であれば、一般処世術(一般好感度)を頼りに世を渡るのは難しいのではないかということです。
これはもちろん例によって試論でしかありませんし、
noteの投稿なんかは9割読んだことがないものなのに
こんな大雑把な印象論を書いていいのかいう気もしたんですが、
誰かの役に立てばと思ってこれを書きました。
御一読ありがとうございました。