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統合失調の人やその家族にはなしたいことはあるか?

こんにちは、木月まことです。
僕は、アラフィフの人ですが、神経科には早くからかかりまして
最初の受診が、受験の2浪時(19歳)でした。
まぁ、病んでしまった人で、統合失調とかウツは体験的にどんなものか分かります

今日は、統合失調のはなしをしたいと思います
どういうはなしかっていうと
統合失調になったらどうするのか、というより、どんな方向を模索すればいいのかということですね。
ええ、もちろん、まったくの私見です。
専門家でもなんでもないシロウトの私見ですので、それはご理解した上でお読みください


統合失調もピンキリで、そこそこ普通の生活が十分できるレベルから
ちょっと社会復帰の見通しが立たないレベルまでいろいろあると思います。

大半の病気にいえることですが
この病も、ズーっと重症の予後のよくないものもあれば、寛解期と再発を行ったり来たりするものと、急性であれば、そのまま治っちゃうものもあるでしょう。
ポイントは、これは、癌など他の多くの病気にもいえることですが
いかに寛解期を長くするかでしょう(私見にすぎませんが)

統合失調もいろいろ症状があって、十把ひとからげには言いにくいんですが
多くのケースで言えることは
自己不安や、悪い予感と、どう折り合いをつけて、(できれば)外の世界に、どう自己を展開していくかというはなしになると思います

自己不安や、悪い予感なんて、別に統合失調の人の専売特許でもなんでもなくて、実際は正常人にもフツーにあるんですが
どの程度自己が脅かされて、どの程度日常生活に支障がでるかに、大きな違いがあると思います。

「わるいヤツラがオレをねらってる!」
多分、あるあるだと思います。
でも、統合失調のケースだと、それが事実なのか妄想なのかはさておき、現実問題としては、35歳をすぎても、
「あれ、殺されてないぞ!」というケースの方が多いと思います。
「殺されてない」というのは、でも主観的不安のほうが大きければ、結局のところ10何年とか殺されてないという事実も何の慰めにもならないかもしれません
大事なのは「不安」があるという事実で、そこをごまかしちゃダメなんだという考え方もあります。

ただまぁ、「ねらわれてる」という事実(はなし)も、警察案件からこれもピンキリで、実際問題として、立証や立件が非常に難しいケースが多いと思います。
実際、ストーカー案件ですと、警察に相談したけど、殺されちゃったみたいなはなしも現実にありますよね。
だから、「ねらわれてる」というのは、確かに当人にしてみれば切実な問題で
そこを理解・共感されない限り、本質的な意味で治癒はないという考え方も成立します
ただ、万が一運よく、「あれ、ねらわれてると思ったけど、結局、5年以上殺されてないぞ」というはなしであれば
ものすごく良好なケースでは、外界(社会)に自己を展開していくのも
絶対にムリではないケースもあるでしょう

つまり、バイトくらいはもしかしたらできるんじゃね?ってレベルです。
いや、バイトの世界も、コンビニとかもそうですが、昔より難易度が上がっていてかつ報酬が少ないので、統合失調者にはムリだという見方もあるでしょうけど

でも、それはさておき、結局のところ、医者からもらった抗不安薬を飲んでもいいんですけど(副作用はあります)
結局のところ、自己不安と、それに付随する悪い予感とどう折り合うかというかという最初のはなしになります。

一般の職業が到底無理な場合は
家事とかができるといいかもしれません。
統合失調の不安を抱えていても、簡単な料理くらいはできるかもしれません。

あんまり何にもできない状態ですと、自己不安の払しょくが難しくなると思います。
この病気になったとき、自分にしかできないことをやる!のもひとつの手ですが
一般の人がフツーにできることをある程度できるようになるのがいいかもしれません
平均的な統合失調の人でも、目玉焼きくらいはつくれるのではないでしょうか?
目玉焼きがつくれれば、ひょっとしたら、ヒレカツだってつくれなくはないかもしれません。

もちろん、こういった「なになにができるようになる」というのは、主に、患者のまわりの人(家族)とかの欲目でしかないといえばそうでしょうから
ムリになにかを押し付けられるべきではないのかもしれません。

「そんなにいろいろできるようにならないといけないの?」というはなしになると、こんがらがって、不安がぶりかえしますね

ただ、まぁ、終局的に、自己不安や、悪い予感とどう折り合いをつけるかでしょうとは思います
それらのものと折り合って、どのくらい「これはできる」ということを増やして、「ここまではひとりで行ける」というところを、無理のない範囲で広げていくかが課題になるかもしれません。

もちろん、そんなの到底ムリ
目玉焼きもムリっていうレベルであれば
絵画療法とか様々なアプローチがありますね

軽傷であれば、ひとりでに治る(寛解)こともあるでしょうし
服薬しながら、とりあえず普通の社会生活を送れる場合もあるでしょう
ただ、多少重い場合は、両親や家族が、仕事などで全員忙しいこともあるでしょうが
完全放置だと、予後が良くないケースもあるでしょうし
逆に干渉しすぎてこじれるケースもあるでしょう
「なになにができるようになる」というのはこちらの意向の押し付けになってしまう場合もあるので、押し付けだとコミュニケーションにならなくて、余計こじれるだけの場合もあるでしょう

どうやって、不安や、悪い予感と折り合いをつけるかが課題になるでしょう。
すべての不安は「死の不安」から派生するんだとしても
こればっかりは、すべての人が将来免れないんで
これと、どう折り合いをつけるかでしょうね

「できること」「できるようになったこと」を足掛かりに、どう世界に自己を展開(または家の中でも)していくかでしょう。

これらは、もちろん、言語のやりとりは、普通にできるレベルの場合ですね
言語のやりとりが普通にできるレベルだったら、道は開ける(場合もある)かもしれません。
言語のやりとりができないレベルだと、外の世界に適応はムリかもしれません

すごくありきたりなはなしだったかもしれませんが
10代で初めて神経科にかかって
アラフィフになった自分がはなせることですね
自分の経験を赤裸々に語るというアプローチは避けました

とおりいっぺんの一般論でがっかりした人もいるかもしれませんが
このあたりがいまの僕に言えることです

(あとがき)
今は、社会のほうのおかしさ(労働環境、経済物価状況)がどんどん露呈してる時期なので、外界に普通の適応を目論むのはむしろ愚策で、人間壊れるだけだという考え方も成立しますね
ただ、だからといって、統合失調の人が人生を諦めなければいけない理由は、ケースにもよりますが、僕はないと考えます
「外界は絶対に正しくなんかない!」という考えもあって、それも確かに1理ありますね
ただ、どのみち正しくなんかなりっこない外界に自分なりにどう足場をつくるのかも、症状が比較的軽い場合はテーマになるかもしれませんね

不安だらけのこの世界で
自己不安や、それに付随する悪い予感とどう折り合いをつけるか?

💦💦💦        ✨

いや、もちろん、比較的軽症の場合ですけどね

以上、シロウトの御託でしたが
ここまでお付き合いくださりありがとうございました

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