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#35 過去の奇跡を思い起こしてみると、当たり前じゃない当たり前に気付けるかもしれないという話

自分は高校生時代に『もっと本を読んでおけばよかった』という後悔から、結構本を読んできました。

その中で、『小さなことにも感謝する』というのを奨める趣旨が書かれている本がポジティブマインドに纏わる本などにはかなり多くかかれています。

これには相当な効力があると考えられる理由があります。やはり、テレビCMに登場する電化製品や食べ物を欲しがったり、お金に関して言えばもっとお金があれば幸せになれるといった考えに飛びついてしまい、今手に入れている幸せを蔑ろにしてしまったりする一方で物質的快楽が手に入らないことを嘆いてしまう様なことはぼんやりと生活している以上陥ってしまいやすいものです。

現状に満たされることが無いかぎり、何かを手に入れて満たされるということはまずないです。
その"満たされる"為のトレーニングとして、現状に対する、当たり前に対する感謝が大事なのだなと実感します。

以前のブログで、もしかしたら過去を振り替えることは無意味だという風に言ったことがあったかもしれません。確かに、その考え方自体は正しいのですが、今回はあえて『過去を振り返るメリット』についてお話出来ればと思います。

今日は一つのテーマから色々な話題に枝葉を広げることはしません。言いたいことはただ一つです。

過去に起こった出来事とは異なるが、あり得たかもしれない不運や恐ろしい境遇をイメージして、そうなっていない今の現状に精一杯感謝する、ということをやってみてはどうかということです。

経験を重ねれば、ツイてないこともツイていることも体験する訳ですが、もしかすると人生狂うレベルのリスクを知らぬ間に回避しているかもしれない…それが必ずしも全ての人にあるとは限らないとは思いますが、もし過去を回想してみて、この様な経験がある方は、それを単なる思い出として忘れるより今の環境に精一杯感謝する為の種にしてはどうか、という提案です。

私自身の経験をここでお話出来ればと思います。

あれは小学5年生の秋の深まったある早朝の頃でした(多分10月中旬~下旬)。兄に誘われたまま、私は地元にあるサイクリングロード(どこにでもあるかわかりませんが、堤防の近くや川沿いにある細い道です)に、自転車を漕いで早朝サイクリングをしたわけです。

とても開けた道なので心地よくて、つい飛ばしていました。秋風が顔に当たって非常に心地よくて、普段サイクリングする時間帯でもないので、新鮮な気分も相まって、かなりスピード出してました。

そこへ、人影のようなものが一瞬私の乗っている自転車の横にすれ違ったのを察知しました。

しかしながら、晩秋ということもあり、陽が昇る時期も遅く、やっと明るくなり始めた頃に自転車のヘッドライトが消えかかり、一番周りが見えづらい時期でもありましたので、私はこれを正確に何であるかはその時はなにも分かっていなかったのです。

さて、そのサイクリングコースというのは周回コースではなく1本道なのですが、舗装されている道から工事が完成していない舗装されていない道があり、いつもそこのサイクリングコースでは舗装路からスタートして未舗装路になる場所で引き返し、スタート地点に戻るというのがお決まりのルートでした。

それゆえ、一度来た道を戻ってくる訳ですが、その途中に既に陽が昇っており、かなり明るくなっていたのでした。

その時に初めてまだ暗くてわからなかった、私がすれ違った影の正体がわかったのです、それは犬連れのお婆さんだったのです!!

そしてこの記憶をつい最近(高校2年生あたり)に思い出して、戦慄したのでした。当時は、危なかったなー位にしか考えていなかったのですが、今改めて考えると、下手すれば私はさだまさしの『償い』みたいな人生修羅場の状況に齢11にして陥っていたのかもしれなかったのです。

それ以降、この記憶は私の中で燻り続けていました(生来のネガティブ思考のせいで、思い出補正の逆バージョンみたいことが起こって勝手に脳内で事態を一層悲劇仕立てにしているかも、と言い聞かせることで心を落ち着かせたり{実際ことの真相は私にもわからないのですが}、この恐ろしい記憶を思い出して1日の間畏敬の念を呼び起こしたりしましたが、正直この体験をどのように生かすのが最も正しいのかが分かりませんでした。)
が、最近になって漸くこの記憶(あるいは、経験?)の使い道がわかったような気がします。

今は、ただひたすら、『お婆さんを轢かなかった/大きな事故にならなかった』ことに感謝するしかないかな、と思っています。

あれが奇跡か私の単なる考えすぎかを問うのはもう意味ない、大事なのは当たり前を当たり前じゃないと感謝出来ることですから、ここはあの出来事は私は救われたのだ、という考えに張って、そのエネルギーを将来に有効活用していこう。そう決めた訳ですね。

加えて、私はこれとは反対の思考、つまり『あの時こうしていれば、もっと良い未来だったかも知れない』と思ったらそれを叩き潰すように志してます。
これをすると、今までずっと述べてきた感謝も出来なくなる上、不必要なネガティブ思考に苛まれるという、便所の鼠の糞のように無駄な時間(ジョジョ風笑)を残りの人生で費やす羽目になってしまうからです。まあ、過去に感謝を続けていれば、現状への不満も将来的には自ずと消えていってくれるんじゃないかとは思うんですけれどねー。

恐らくもうこのことを忘れることは無いと思います(小学生の頃の思い出を今なお覚えている訳ですからね)となれば、もうポジティブ方向にこの溜まったフラストレーションを総動員してぶつけるだけかな、と思います。

という訳で、今回この話をした訳ですが、実はこうして言葉に書き綴ったのは今回が初めてです。もしよろしければ、皆さんの中に似たような体験(死にかけた経験、運命的な出会いetc)があれば、是非共有して欲しく思います。

私はこういった思い出話をこれからも違う形で定期的にお話出来ればと思います。それじゃあ!

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