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【ミステリー小説】腐心(2)

第1話は、こちらから。

<前話のあらすじ>
昭和50年代に宅地造成された住宅街のテラスハウスの空家で高齢男性の遺体が発見された。死後五日ほど経つとみられる遺体は、35度超えの猛暑日が続いているのに死臭がしないどころか、まったく腐っていなかった。H県警東野署捜査一課の香山は、不審を抱く。

<登場人物>
香山潤一‥‥H県警東野署刑事課巡査部長
樋口武史‥‥巡査・香山の部下
浅田‥‥‥‥鑑識係員
瀬名牧蔵‥‥死体の第一発見者
相良俊夫‥‥瀬名の相方


「カヤさん」
 鑑識の浅田に検視について問いただそうとした矢先に、背後から樋口の潰れた声がした。顎だけで振り返ると、巨体の背に隠れるように頭にタオルを巻いたつなぎ姿の男が二人立っていた。手前の男は頬骨が張り、後ろに控えた方は印象の薄い顔立ちではあったが、どちらも陽に灼けたつらはシミだらけで干からび皺が波打っていた。六十代半ばから七十代前半くらいか。前庭に草刈り機と柄の長い剪定挟み、脚立が放置されているのに香山は気づいていた。おそらく庭師だろう。
「第一発見者の瀬名牧蔵さんと相方の相良さがら俊夫さんです」
 初老の男たちがおずおずと会釈する。手前が相良で、後ろが第一発見者の瀬名だった。相良は二の腕も太く筋肉質で、老年になっても頑強な庭師らしい骨格をしていた。一方の瀬名は痩せぎすで絶えず小刻みに体を揺らしている。彼らをよけるように、鑑識の係員たちが狭いリビングをせわしなく出入りする。入り口を塞ぐ形になっているのに樋口が気づいたのだろう、なにしろ彼自身がでかい。「カヤさん、階段前に移動しませんか」とささやく。無言で同意し「検視については、あとで」と、指紋採取を続ける鑑識の浅田の頭に声をかけると、手だけひらひらと振られた。
 玄関から勝手口に向かって伸びる短い廊下の中ほどに階段がある。遺体発見者の二人を階段に腰かけさせた。階段の踏み板は合板が反り、埃が均質に積もっている。それでも家主は整理整頓好きな方だろう。玄関の下足箱の上や廊下の壁に色褪せたパッチワークのタペストリーが飾られてはいたが、いわゆるゴミ屋敷のように、廊下や室内に足の踏み場もないほど新聞や雑誌のたぐい、不要ながらくたが散乱してはいない。空家にしてはよく片付いている。おかげで鑑識作業もはかどっているようすだ。
「遺体発見時の状況を話していただけますか」
 瀬名が助けを求めるようにちらりと相良に目をやる。
 相良が顎でうながす。二人の力関係が透けてみえた。
「こ、こ、こんなことは初めてでよぉ」
 ぼそぼそと語る瀬名の声は、開け放った玄関から轟く蝉の合唱にかき消されがちだったが、あらかたはわかった。
 二人はシルバー人材センターから草刈り業務で派遣されていた。
 テラスハウスには十坪ほどの前庭がある。手入れする住民のいなくなった庭は、春から夏にかけて雑草が猛威をふるう。近隣からの苦情が絶えず、市は苦肉の策としてシルバー人材センターに剪定作業を委託している。一軒につき二人で作業する。ばらばらで申し込むと相方が誰になるかわからないが、二人で申し込んでおくと二人組で依頼される。気心のしれたもんでねぇと、やりにくくてかなわんからよ、と相良が横から付け足す。今日は午前中に現場となった林邸を、午後から一本裏にある別の空家の草刈りをする予定だったらしい。
「げ、玄関の扉が開いてたんだよ」
 おめぇは裏口の方から始めてくれと相良から指示され、瀬名はガレージから家の後にまわろうとして玄関扉が細く開いているのに気づいたという。
「空家って聞いてたけんど、ひょっとして家主が来てんのかち思ってよ。ほんなら挨拶ぐらいはせんといけんやろ」
 玄関扉を引いて声をかけたが、反応がなかった。
「けンど、玄関に靴があったんで」在宅していると確信したらしい。
三和土たたきから、すんませーん、シルバー人材センターから来ましたぁって声かけて、部屋をのぞいたら、ほんだら」
 仰向けで人が倒れている足裏が見えた。
「今は、窓開けとるからだいぶましになったけどよぉ」と瀬名はタオルで首筋の汗をぬぐう。
「玄関を開けると熱風が押し寄せてよ。家ん中は熱気がこもっとって、そりゃサウナより暑うて。てっきり熱中症で倒れとると。慌てて駆け寄って体をゆすったが反応がないじゃろ。ほんで、相良さんを呼んだんだわ」と相良に目をやる。
 相良によると、なかばパニックになっている瀬名に代わって119番通報したのは彼だった。やってきた救急救命士が心肺停止を確認し警察に通報したということだ。
 話が終わったころあいで鑑識の浅田が「下足痕げそこんを取らせてもらえますか」とまちかまえていた。ビニールの靴カバーを外してシート上に起立させる。最後に住所、氏名と電話番号を記入してもらい、二人を解放した。
 樋口が無言でペットボトルの茶を渡してくれた。ありがとな、と礼をいうと、「ウラ取ってます」という。何の? と質すと、「さっきの二人の」とぼそりという。ふっと居なくなったと思っていたが、どうやらシルバー人材センターに身元の確認をとっていたようだ。樋口は巨体に似合わず目端が利く。ラグビーでも司令塔ポジションだったからか、全体を俯瞰して考えられる。一見朴訥にみえる樋口のそういうところを香山は買っていた。
 死体のそばに戻ると鑑識の浅田がまちかまえていた。
「見たところ外傷はないですね。頭部の打撲も考えられますが、表からは頭蓋骨の陥没等も見当たらない。死体検案書に記載されるのは、おそらく多臓器不全でしょう」
「死後五日てのは?」
「室温が高いため死後硬直はみられません。ですが」といいながら遺体をひっくり返す。背中に痣が浮いていた。
「死斑か」
 浅田がうなずく。
「解剖は……無理か」
「おそらく。外傷がないですしね、事件性が薄いんで、司法解剖はまず無理でしょ」
 香山は顔を顰める。司法解剖の壁は高い。
「ホトケが腐ってねぇのは、どう説明する。明らかに不審死だろ」
 浅田がふっと口もとをゆるませる。
「ナポレオンと同じでしょ」
「ナポレオン?」
「ナポレオンです」
 浅田は右の口角をあげてにたりと片笑む。

(to be continued)

第3話に続く。


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