小説『ポルカ・ドットで、こんにちは』Dot:5
月明かりがレースのカーテンをひるがえし部屋の奥まで光の線を引く。
凛子は読書灯を消し、しばらく、シルクオーガンジーのカーテンと月光のかけひきを愉しみ、ベッドからおりた。素足に水色のモロッコ革のスリッパを引っかけ、サイドテーブルに置いていたシャンパンフルートを手にテラスに出る。耳膜の奥でドビュッシーの『月の光』がこだまする。
月が白い。
夜空を闇とよぶ安易さに、凛子はうんざりする。
山並みは黒くひと色に鎮んで動かない。稜線すらきっちりと吞み込んでいる。あれこそが闇。けれど、天空はあんがい明るく群青に透けてまばらで、月があたりを白くぼかしている。人は簡単に常套句だとかイメージとかをうのみにして疑わないのは、なぜ? よくみれば違うのに。
月が海を照らす。
照らすというのは正確ではないわね。月自身にエネルギーはないもの。太陽の光を受けとめて返すだけ。藍をこぼしたような水面に白い月の道がひとすじ波にゆさぶられたゆたう。
夜は闇ではなくて青のつらなりとゆらぎだと思う。
1/fゆらぎというのがもてはやされたことがあった。木漏れ日も、小川のせせらぎも、心拍数も1/fゆらぎらしいから。夜空の色の複雑な重なりと広がりにもあてはまるんじゃないかしら。誰か教えてほしい。
群青はラピスラズリかアズライトを砕いて作る。どちらも貴重な鉱石。ヨーロッパでは「海の向こうから来た青」ともよぶ。青は異国の憧れの色だったのね、たぶん。ブルーモスクのイズニックタイルが描く青の宇宙。あのなかで眠ってみたい。
凛子は南の空に蒼白く輝くスピカを見つける。
手をのばして星が描く線をたどる。何万光年のかなたから青い鉱石が降ってくるようだ。今この瞬間も、宇宙からはニュートリノがシャワーのように降りそそぎ、市庁舎を、岬の岩盤を、燈台を、船をそして私の身体を一秒間に何兆個もすり抜けている。手で掬うことも、厚い金属の壁で留めることもできない宇宙の粒は、地球さえなんなく貫通するというけれど。パウリが予言したつかまえることのできない粒子。知らないうちにどこかへ飛び出してしまうという。まるでキリみたい。自在に指をすり抜けて翻弄する。
シャンパンが無数の黄金の泡を次つぎに浮かびあがらせる。
グラスをゆらし、そのフレーバーに目を細めてひと口あおる。気泡が喉ではじける。そういえば、素粒子の種類もフレーバーとよぶのだと、キリがいってた。物理学もなかなか洒落たことばを使う。理論にはとうていついていけないけれど。フレーバーと思えば彼らのロマンに酔えるかもしれない。ミクロを知ればマクロがわかり、素粒子を知れば宇宙の理が解明できるというけど、本当かしら。
岬の向こうの山並みは、黒くどっしりとうずくまっている。
もうすぐ遺跡発掘調査がはじまると聞いた。
ドイツの黒い森、シュヴァルツヴァルトが私を呼ぶ。
天を突き刺すように伸びるドイツトウヒの深く昏く豊かな森では、今宵もナイチンゲールが美しい声でさえずっているかしら。名器ストラディバリの響板もドイツトウヒ。ああ、きっと、ストラディバリもこの森をさまよったのね。黒い森で響くバイオリン。森が音楽を奏でる。風が梢をゆらし葉ずれをかきたてる、バイオリンのボウのように。
凛子はシャンパンを飲みほすとベッドにもどり、サイドテーブルから読みかけの『月と六ペンス』を取りあげる。月は夢を、六ペンスは現実の寓意だといわれるけれど。いいじゃない、狂おしいほどの夢をみたって。モームは小説でゴーギャンを描き、ゴーギャンはタヒチで原色の夢を描いて果てた。白い月光が角度を低くして部屋の隅まで照らし影を伸ばす。光は闇から生まれるのだと、誰もがわけしり顔でいう。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
繰り返される自問。
ゴーギャンの月はどんなふうに輝いていたのだろう。
最後の作品で何を問いたかったのだろう。
ボストン美術館にあるというそれを観てみたい。
キリはもう眠ってるわね。
夜間飛行の夢が見れるといいのだけど。
(to be continued)
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