銀の鳥籠のかき氷(#シロクマ文芸部)
かき氷を銀の鳥籠でたいせつに育てることにした。
その日、ツキノワグマのヒダカさんからお中元が届いた。
地球がどうかなってしまうんじゃないか、と心配になるくらい酷い暑さが続いている。けれども、あたしはクーラーをつけず六畳二間のアパートの海に面した窓に顎をつけて萎びていた。
クーラーがちょっと、いやかなり苦手。
狭い部屋の窓をぴちりと閉めると、息ができなくなる錯覚におそわれる。体をつるんと覆っている肌が皮膚呼吸ができなくなる気がするのだ。だから、どんなに暑い日でも、海に面した窓を全開にして、ようやく息をつく。扇風機を強風にして、トドのようにだらしなく伸びる。潮まじりのぬるい風がねっとりまとわりつき、肌の塩分濃度は飽和食塩水濃度をとうに超えている、たぶん。
ピンポーン。
蝉の声をかきわけてインターフォンが鳴った。顎だけを戸口に向け、
「ヒダカさんでしょー。入ってー」ゆるみきった声をあげる。
「クールしろくま便です。はんこをお願いします」
そうだった。ヒダカさんは、いないのだ。
胸に銀の三日月をさげたツキノワグマのヒダカさんは、昨年末、しろくまが暮らす氷の海をめざして南に旅立った。「今日が最後の日です」と言い残して。
いつもの夏なら、そろそろヒダカさんが山から海の見えるアパートに帰ってくる時分だった。寂しさがひとにぎり溶けだす。そう、いつもなら。山のお土産を抱えたヒダカさんが「また、明日からお願いします」と汗だくで戸口に立っている。寂しさは、後から小出しであらわれるんだなと唇を噛みしめ、はんこを探す。
お届けものは、ヒダカさんからのお中元で南極の氷だった。
ヒダカさんはいないけど、お土産はきちんと届く。ヒダカさんはかわらず律義で礼儀正しいくまだ。送り状の消印は、南極昭和基地内郵便局。
ああ、やっぱり。ヒダカさんはしろくまのいる北極ではなく、南極にたどり着いちゃったんだ。
「でも、南極もいいものですよ」
ヒダカさんの角ばった丁寧な字の手紙が入っていた。
しろくまは北極にしかいないんですってね。そんなことも知りませんでした。代わりに、コウテイペンギンやアデリーペンギンと仲良くなりました。それにね、南極のくま第一号ってすごくないですか。
写真が一枚添えられていた。
南極越冬隊員の人たちの端に並んで、背をぴんと伸ばし起立しているツキノワグマが写っていた。頭と肩にはぶあつい雪が白く積もっている。いつかしろくまになっちゃうんじゃないかと思うくらい。
ふふ、と笑みが頬の内側からこぼれる。
ヒダカさんは、どこに行ってもヒダカさんだ、とうれしくなる。
窓辺で銀の鳥籠が揺れる。
商店街のアンティークショップでひとめぼれして、海の見える窓にぶらさげている。いちども小鳥を飼ったことはないけれど。丸い筒形で天井がドームになっていて、アールヌーボー風の繊細な装飾が気に入っている。無愛想な部屋がそこだけ立派にみえる。窓に顎をのせて、潮騒を耳に銀の鳥籠を見上げると、海原が月の砂漠にみえてくる。
メロンパンをほおばりながらヒダカさんも「いいですね」と目を細める。ふたりでメロンパンを齧って海と鳥籠を日がな一日眺めていた。
胸で小鳥がさえずった気がした。
南極の氷が、プチッ、プチッ、プチチッと十万年前の空気をさえずる。
すてきなことは、唐突に思いつくものだ。
台所の棚から野菜スライサーを取り出す。
シャッ、シャッ、シャッツ。
シャッ、シャッ、シャッツ。
シャッ、シャッ、シャ、シャッツ。
ぎやまんの赤い切子の器に、南極の氷を削る。
南極の氷は白い。薬剤で不純物を取り除き透明にした純氷とはちがう。白く、ところどころほんのりクリーム色に曇っている。十万年の太古の記憶が詰まっている。それを。
シャッ、シャッ、シャッツ。
シャッ、シャッ、シャッツ。
シャッ、シャッ、シャ、シャッツと削る。
赤い切子の器に、針先みたいに細くて美しい氷のかけらが積もっていく。
シャッ、シャッ、シャッツ。
シャッ、シャッ、シャッツ。
鳥の巣みたいに縁高になったら真ん中に、白いうずらの卵大に整えた南極の氷の卵をひとつ置く。
びいどろの赤い切子の器を銀の鳥籠に入れる。
削り氷をあてなるものと讃えたは、清少納言だったっけ。南極の氷の削り氷なんて、最高のあてなるものね。氷の巣を崩さないように、そっと銀の鳥籠を冷凍庫におさめる。
三日ぐらいかな。いや五日かしら。
かき氷が銀の鳥籠で育つのを待つ。
ヒダカさんが贈ってくれた南極の氷だもの。たいせつに育てなきゃね。
ときどき、冷凍庫に耳をつけてみる。
シャリ、シャリ、シャリ。
かき氷が育つ音がする。
角のパン屋に駆け込んで、ありったけのメロンパンを南極宛に送った。
<了>
…………………………………………………………………………………………………………………
小牧部長さま、皆さま、暑中お見舞い申し上げます。
「締め切りにまにあわない」が定番になっています。
とちゅう、2千字ほど書いていたのが、操作ミスで全部消えてしまって……。
真夏のミステリーかと、真っ青になりました。
今週も(いえ先週?)どうぞよろしく、お願いいたします。
こちらの後日談です。