大河ファンタジー小説『月獅』67 第4幕:第16章「ソラ」(2)
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第4幕「流離」
第16章「ソラ」(2)
突然、ごごごごごごごっという不穏な重低音が、空気を震撼させた。
はじめは鈍く重く。しだいに重量を増してくる。けっして耳を覆うような大音量ではない。だが、地の底から得体のしれない何かがせりあがって来る不気味な圧迫感が島を覆った。
海面が激しくうねる。森からいっせいに大小の鳥が飛び立つ。地底で龍がのたうち大地が軋むような不穏さが確実に強まっていく。島を取り巻く空気がみしみしと震える。震えはしだいに大きくなる。ソラは怖いもの知らずだ。嘆きの山の火口に引き込まれそうになったときも、恐怖は微塵も感じなかった。けど、いまは躰の奥が固唾をのんで迫り来る何かに怯えていた。それを抑えようと、両の手をまっすぐ上にあげ、肩をつかんでいる太い幹のような二本の脚を強く握りしめた。
その瞬間、嘆きの山が咆哮した。
空を切り裂く轟音をあげ、間欠泉のごとく炎を噴き上げたのだ。怒れる龍が天に向かって火焔を吹いているようだった。
火柱が天を衝く。火の礫がソラの足もとをかすめる。次から次へと乱射する散弾銃さながら無秩序に襲ってくる。熱風が渦巻き、息ができない。爆風のはざまから島が火だるまとなって燃えているのが見えた。嘆きの山は狂ったように怒りの火の粉を撒き散らし、どろどろとした血を吐き続ける。
「シエル、シエェエエエエル!」
ソラは喉が灼けるほど声を振り絞った。
なぜノアやディアやルチルではなく、シエルの名を叫んだのかわからなかった。シエルを失う恐怖がソラの胸を締めあげる。自らの半身がめらめらと灼かれる痛みに痺れた。
「ビュイック、シエルが! シエルが!」
太い枝脚を握りしめている手に力をこめ、縋るようにソラは顔をあげて慄然とした。
熱風で目がおかしくなったのか。
火の粉をよけながら見上げた視界に映ったのは、黒い胸毛だった。翼の羽根も漆黒だ。首回りを白い毛が襟巻のごとく一巡している。それがやけに目についた。
ビュイックは胸も翼も黄金色だ。火の粉のせいで黒く見えるのだろうか。目を擦りたかったが、手を離すのが怖かった。後ろを確かめようと、身を反らせる。鈎爪が肩にくい込み腫をえぐる。痛みに歯を食いしばる。グリフィンならば、猛禽類の前脚とは別に、太く立派な獅子の後ろ足があるはずだ。ソラは鳥脚を強く握ったまま、背後へと身をよじった。
獣脚はない。漆黒の尾羽根しか見えない。
グリフィンじゃない。ビュイックじゃない。じゃあ、この黒い巨鳥はいったい何だ。
ソラは激しく混乱し動顛した。
その刹那、天を切り裂いて閃光が走った。ソラは身を凝固させる。
間髪を置かずに、雷鳴が轟いた。天が落ちたかと思うほどの爆音だった。先ほどまで明るかった空は、たちまち黒雲に覆われる。驟雨が容赦なく叩きつける。稲光は次々に天から発射される。地上では嘆きの山が鮮血を吐き続ける。まるで天が嘆きの山に向かって銃を乱射し、撃たれた山が血しぶきをあげているようだった。
怒り狂う嘆きの山をなだめるのではなく、天は圧倒的な力で凌駕せんと嵐を巻き起こしている。地の龍は焔を吐き、天の龍は雷神を引き連れ暴雨をあびせる。足下に目をやると、海面はうねり、泡立ち、すべてを呑み込まんと昏い口をいくつも開けていた。天と地の攻防に、人も生きものも為す術などあろうはずがなかった。
鳥の羽根は防水機能が備わっており多少の雨粒ならはじく。だがこの嵐では毛ほどの役にも立たない。漆黒の巨鳥は雷雲の上に出ることを選んだ。
羽根をたたみ、荒れ狂う嵐のなか、天空めがけ弾丸となって直上する。
全方向から渦巻く雨風にソラは目も開けられない。急上昇する空気圧と風圧の激しさに、ほどなくソラは失神した。
(to be continued)
第68話に続く。
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第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
第3幕「迷宮」は、こちらから、どうぞ。
これまでの話は、こちらのマガジンにまとめています。