王冠をかけたアリバイ(1)<Ryéさん#特別企画 参加作品>
類まれなる語学力を駆使して、すてきなエッセイを書かれているRyéさんをご存じでしょうか。
英語はもちろんフランス語でも記事を書かれていて。
いったいどれだけの言語を習得されているのか。
語学力のない私など、驚くばかりです。
それも。ただの知識のみせびらかしではなく、言語に関する知見や旅や映画の話のどれもが、やわらかな文体で心地よい思索の旅へと誘ってくれます。
そんなRyéさんが『原書のすゝめ』シリーズで秀逸なショートショートミステリを紹介してくださっています。
ここのコメント欄で、Ryéさんと吉穂みらいさんが「アリバイをお題に何か書きましょう」とふたりで意気投合され企画を。
へええ、おもしろいなあ。おふたりはどんなの書かれるのだろう、と。
のんきに楽しみにしていました。
お題に対するRyéさんの作品がこちら。
冒頭で「alibi(アリバイ)」の原義を語ってくださっています。
「alibi」とは「どこか他のところで」という意味なのだとか。
そんなことを知ると、殺伐としたアリバイへの見方も複層的になります。
吉穂みらいさん(としても活動されてますよね!)は、
ひと言でまとめるのが難しいくらい多岐にわたって活躍されていて。
きっと私よりも皆さんのほうがよくご存じですよね。
電子書籍の『駐妻記』だけでなく、ペーパーバックで『音楽のように言葉を流す』というエッセイ本も出版されています。
そんなみらいさんが、どんなふうに「アリバイ」を料理されたのか。
ぜひ、下記より読んでくださいね。
アリバイの原義をこんなふうに解釈できるのか! と。
そんな静かな余韻が胸に深く残る作品です。
「二作品ともすばらしい!」と悦に入りながらコメントをしたところ。
Ryéさんから「アリバイ」で書いてみませんか、とのお誘いを受けました。
自分の実力も省みず(いつものことですが)、無謀にもチャレンジを。
<どこか他のところ>というアリバイの原義も、ほんの少しだけかすめて。
いつものごとく、長くなってしまったので3回に分けてお届けします。
では。
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『王冠をかけたアリバイ』(1)
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広大な庭園に急きょ設置された何台もの投光器が、煌々と昼よりも明るく白亜の館を照らしだす。警察と報道のヘリが灯りに群がる羽虫のごとく、幾台も空中でホバリングし、夜空を不穏に震わせる唸りをあげていた。
8月31日昼の12時きっかりに、富豪トミー・リー・トインビー宛に犯行予告状が送られてきた。受け取った執事のサムスンは、いつもと同じ沈着な態度を崩すことなく、珍しく在宅していた主人に渡した。
トインビーは5年前にカルティエに依頼し、150カラットのルビーが正面のクロスパティを飾る王冠を作らせた。自身の成功へのトロフィーとして。
トインビーの父は電気技師だった。貧乏ではなかったが、裕福ともいえなかった。幸いだったのは物置がわりの大きなガレージがあり、電気工具類がそろっていたことだ。親友のアーチーとガラクタを拾い集めてはガレージで工作に没頭した。ハイスクール2年の春にアーチーの両親が離婚し、アーチーはフロリダから母親の実家のあるモンタナに引っ越していった。
別れの夜にガレージで、永遠の友情を誓ってコロナビールで乾杯した。
アーチーとはあの夜以来、会っていない。
というのも、その後アーチーの置き土産だった子ども向けお絵描きコンピューターの開発にトビーはひとりで取り組み、パロアルトのテック産業に売り込んだ。それが思いのほか高く評価され、「高校生開発者」として一躍、時の人となった。大学進学と同時に起業するとITブームに乗って会社は発展し、そのころにはトビーは技術者であるよりもすっかり若手経営者にシフトしていた。次々に会社を興しては、創業者利益が出るとさっさと売り払って資産を倍々ゲームで殖やし、名声と富を手に入れた。
その証として、王冠を作らせたのだ。
「私の成功の証を奪うなど断じて許せん」
事件の陣頭指揮をとっているのはロス市警のナンバー2、ワーグマン副本部長だ。《トインビーの王冠》はメディアでもたびたび取り上げられ、持ち主と同じくらい有名だ。それを犯行予告状まで送りつけて盗み取ろうとは。警察の威信にかけても阻止せねばならない。
王冠は、広間の壁に埋め込み式の金庫に保管されている。
トインビーが壁の指紋認証装置に掌を置くと、鈍い音をひきずって漆喰の壁が左右に開く。防弾ガラスのケースに収められた王冠が、あたりを睥睨する輝きを放って自動でスライドすると、毎回、招待された客たちの賞賛と感嘆のため息が響く。トインビーは満足気な笑みを口の端にのぼらせ、上機嫌で客のみえすいた賛美と世辞をあますことなく受けとめる。「王族を気取るとは、なんて下品な」と蔑まれていることなど先刻承知だ。
俺が実力で勝ち取ったものだ。
ワーグマン副本部長はトインビー邸に着くとまず、王冠がレプリカでないかを確認した。本物が銀行の金庫など別の場所で保管されているならば、そちらの警備にこそ重点をおかねばならないからだ。
「レプリカを披露するなど、客をばかにするようなまねはしませんよ」
トインビーが鼻白む。
「では、この堅牢な金庫の中にあれば、賊が盗み出すなど不可能ですな」
「いいや、金庫の扉は開けておきます」
「なんですと!」
ワーグマンが気色ばむ。
実物の確認のため壁の扉は開けられ、王冠はガラスケースに収められたままワーグマンとトインビーのあいだで燦然とした輝きを放っている。トインビーはガラスケースの上部を撫でながら、不敵な笑みを浮かべる。
「勇敢、いや愚かというべきか。まあ敵の愚かな勇気に敬意を表して、挑戦を受けてたとうじゃありませんか。予告時間まで王冠はこの状態にしておきます。ケースは私の指紋認証がなければ開きません。奪うには、防弾ガラスを割るしかない。警察人員のなかに犯人がまぎれこんでいる可能性は……もちろん排除済みでしょうな、ワーグマン副本部長殿。これだけの目のある中でのすり替えは不可能でしょう。私は警察の力を信頼していますよ」
高級スーツをりゅうと着こなしたトインビーが目を細める。
(ちくしょう、犯人だけでなく、この成りあがり富豪も、警察にケンカを売ろうってんのか)
ワーグマンは内心で唾を吐く。部下たちに指示を飛ばし、屋敷内を徹底的に調査させ配置につかせた。
「いいか。互いの面の皮も引っ張って、変装してないかも確認しろ! ネズミ一匹見逃すな」
ボーン、ボーン、ボーン……。
ホールに据えられた紫檀の振り子時計が9時を打った。
警備にあたる警察官たちに緊張がみなぎる。
ぴくりとも、何も動かない。空気すら停止していた。
聞こえてくるのは、ヘリコプターの轟音だけだ。門から屋敷まで距離があるため塀に群がる野次馬の騒音も届かない。
ぴんと張った緊張の糸は微動だにしない。誰もが全神経を逆立てて怪盗の登場を待った。
時計の針は9時15分をまわった。
だが、いまだ何も起こらない。
ワーグマンは王冠を凝視しているが、先ほどから何の変化もない。王冠はただ泰然とそこにある。
「もしや……」とワーグマンが嗄れた声をトインビーに向ける。
「警察を揶揄った……なんてことは、ないでしょうな。ロス市警の威信をかけてこれだけの人数を動員したのですよ」
巌のような骨ばった顔がトインビーを睨めつける。
「なんと、警察は高額納税市民をお疑いになる?」
ガラスケースを挟んで冷たい火花が飛ぶ。王冠はその下で鎮座していた。
「旦那様、シェリーがこのようなものを咥えておりました」
執事のサムスンが虎斑が美しいベンガル猫を抱きかかえていた。5歳の娘アニスンの愛猫だ。くしゃくしゃになった紙片を主人に手渡す。
「なんだ、これは」
トインビーはワーグマンに紙片を渡す。
「王冠は盗まれていないぞ。ここにある。賊はガラスケースに指すら触れていないではないか。どういうことだ。それにワーグマン副本部長殿、あなたもご指名とは。きみが指揮官だと犯人はどうやって知り得たんでしょうね。警察に内通者でもいるのではないですか」
ワーグマンは一瞬、ぐっと喉を鳴らす。
「愉快犯か?」
低く割れたワーグマンの声が床を這う。剛毛の眉が吊り上がっていた。
「それと……旦那様、お、お嬢様のお姿が……み、見当たりません」
執事のサムスンもさすがに動揺が隠し切れず、声が震えていた。
「なんだと! それを先に言え」
トインビーが甲高い一声をあげ駆け出す。サムスンが後を追う。
ワーグマンはインカムで娘の部屋を確認するよう指示を出し、一瞬ためらったが、腹心のボストンを娘の部屋に向かわせた。犯人の罠である可能性が高い。今、俺が王冠から目を離すわけにはいかない。
強盗事件だけでなく、誘拐事件もか。
いや、あるいは犯人の狙いはこちらだったのか?
(to be continued)
第2話に、続く。