独りぼっちは賑やかか~新聞より
*最初に
2023年7月15日(土)朝刊 11面 オピニオン
我が師匠、近藤康太郎氏の「多事奏論」が載っていました。
「わ!久しぶり!」
私は姿勢を正して読みました。
記事を開くことができたら、読んでいただきたいのですが、
タイトルは「見逃されたのは銃なのか」「独りぼっちは賑やかだ」
先日の長野県の銃が使われた事件をふまえて、
「猟師はやめたらどうか」と言われたそうです。
イメージが悪い、動物いじめではないかと。
コラムより要約
今回の事件では、猟銃を持っていたことを見逃したと報じられた。
見逃されたのは、容疑者の孤立じゃないのか?
容疑者は「ぼっち」をからかわれたと勘違いし、犯行に及んだ。
事件の動機を単純には判断できないけど、
独りぼっちを恥じ、苦しんでいる人はほかにも多くいる。
だれかが孤立を感じる社会は、だれにとっても住みやすい社会ではない。危険である。
なにかしなければ。なにができる。
私の感想も入れて
今、近藤氏は独りで猟をする、本を読む、文章を書く。
ぼっちが好き。
一人っきりだから工夫する、孤独だから自由。
茨木のり子の「一人は賑やか」という詩を紹介しています。
そして、やるべきだったことは、
「独りぼっちの爽快さと興奮を、もっと魅力的に書きまくらなければならなかった」
「ぼっちは賑やかだ」とコラムを締めています。
孤独と孤立
近藤氏は「孤立と孤独」を分けて書いています。
「孤立はいかん。孤独は悪くない」と。
これは、岡本太郎氏の「孤独」と通じますね。
秋葉原殺人事件の容疑者は「孤立」していた。
それに関しての私のnoteです。
要するに、今回の事件は猟銃を取り締まれば防げたという単純なものではない
ということでしょう。それは思います。
「孤立」に銃がかけ算になってしまった。
たぶん、銃がなくても、事件は起きたかもしれない。
独りぼっちは賑やか
「独りぼっちは賑やか」
それも思います。私も一人が好きです。日頃基本的に一人行動です。
でも、これも単純じゃない。
私も仕事を辞めてから、
どこにも所属していないので、
「孤立」ということを考えるようになりました。
したいことはある、でも踏ん切りが付かない。何かしなくちゃと焦る。
若い頃の人見知りが戻ってきたようにも思います。
マズローの欲求階層説では、所属欲求が満たされていない。
深い海の底をのぞくような孤立感。
何か言われているんじゃないかという思い込みになっていく。
そんな「孤立」を持っている人は、ここかしこにたくさんいると思います。
何か事件が起こらない限り浮上してこない。
孤独を楽しめ。孤立ではなく繋がりを。
本当に、なにができるのでしょうね。
孤独を楽しめ。孤立でなく、繋がりを。
それができれば。
私にできることは、人間の力を信じること。
そしてこういった問題提起と思っています。
最後は希望を持ちたい。
笑いで吹っ飛ばしたい。
・・・・明日考えよ。
いいことがいっこでもあるように。
写真は六甲山ミーツアートより。君は孤独ではないかい?
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