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読書日記「灯台からの響き」宮本輝

読書日記。
この本は去年のナツイチフェアで買いました。本屋さんで、「買うと必ずもらえます栞」を目当てに、どれにしようかなと探して見つけたのだった。

思い出した。
もらえるかなと思ったら、その日はもらえなかったのだった。

電車用にしていたら、読み始めてから日にちが経ってしまったけど、先日読み終えました!

私が感じたことを振り返ってみたいと思います。記録なので、すみません。いつものようにネタバレ、長文決定です。すみません。



あらすじ


牧野康平は、父の代からの中華そば屋を営んでいたが、突然妻の蘭子を急病で亡くす。それ以来、気力をなくし店を閉めていた。ある日、「神の歴史」という本を読んでいると、本から一枚の葉書が落ちた。それは以前蘭子宛てに届いた葉書。そこには灯台の話が書いてあった。
蘭子は「こんな人は知らない」と言っていたのだ。康平は、灯台を巡る旅に出ることを思いつく。


この葉書が、ミステリーのように、謎解きのように最後まで引っ張る。なぜ蘭子はこの葉書をとっていたのか、なぜ「神の歴史」にはさんだのか。

読みながら読者は、康平の灯台の旅に付き合うことになる。


康平はあまりしゃべらず静かだが、思慮深い。娘、息子、古くからの友人等登場人物も、みなそれぞれ巧みに描かれて、どんどん読ませる。

灯台とは

灯台とは何を示すのかと思った。康平が灯台巡りを思いつく場面。

灯台そのものの美しさと一種の孤影のようなたたずまいに惹かれ始めた。

P33より引用

康平は高校中退。ただ黙々と、父親の代から中華そば屋で働いてきた。灯台に例えたら「雨の日も風の日も濃霧の日も」
「岬や半島の突端で黙して立ち続けるだけだ」(文中より)

そんな姿に自分を映してみたのかもしれない。または憧れているのかもしれない。そう思いながら読んでいると、ほら、後半に出てくる。

動かず、語らず、感情を表わさず、海を行く人々の生死を見つめてきた灯台が、そのとき康平には、何物にも動じない、ひとりの人間そのものに見えていた。

P335より引用

あまりとらわれなくてもいいと思うけど。
康平は、さまざまな人間を思い、それぞれの人生を思うのだ。

渋江抽斎

本筋から離れるのかもわからないけど、本の話が出てくる。

康平は友達に言われ、本を読み始める。店の2階が本で埋まる。
店に来た老人に、何を読めば良いのか聞く。最初に言われたのが「モンテ・クリスト伯」「レ・ミゼラブル」そして森鴎外の「渋江抽斎」だった。

渋江抽斎のいた昔も今も、人は必ず死んでいく。「わずか生後三日で死んだ子どもさえも、目には見えないなにかを残していく」とある。

いずれにしても、生まれて三日で死のうが、百歳で死のうが、そこには差はなくて、一瞬にすぎない。永遠のなかの一瞬ではなく、一瞬のなかに永遠があると見れば、三日で死んだ子もなにかを残して生涯を終えたことになるのだ。

P81より引用

この「一瞬の中に永遠がある」という言葉が心に残った。

文中に、「無限の時間」の単位が出てくる。仏典にある「百千万億那由他阿僧祇劫(ひゃくせんまんおくなゆたあそうぎこう)」というらしい。天文的どころではない。想像できない数字である。

一瞬の中にも、そんな永遠の時間があるということか。すごいなと思った。そんなこと考えたことなかった。

謎解きと余韻

葉書の謎は解決したけど、「なんだ、そっか」と思うくらいだった。謎解きが目的ではないから、それでも構わないのだと思った。

解説の藤岡さんが、「それでも最後まで読んでもわからないことがある」と書いていた。でも、だからこそ読者は思いを巡らせるのだ、と。

それはある。
その余韻が、小説を読む醍醐味や楽しみなのかな。

エレカシの宮本浩次は森鴎外を敬愛している。渋江抽斎も読んでいる。

「永遠の中の一瞬、一瞬の中の永遠」を私たちは生きている。

康平と友達のつながりがいいな。家族も再度つながっていく。家族じゃないのに繋がる人たちもいる。黙々と風雨に向かって立ち続け、灯を届ける人々がいる。歴史の営みを続けている。

そして、康平は新たな一歩を踏み出したのだ。良かったね、と思った。


あ、もう一言だけ言わせて。
「まきの」の中華そばが、めっちゃ美味しそうだった。チャーハンも。
食べてみたい。


*ヘッダー写真:表紙。康平の隣りに立っている子どもは誰だろう、とふと思いました。文中にこんなシーンは出てこないよね。

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