読書日記「灯台からの響き」宮本輝
読書日記。
この本は去年のナツイチフェアで買いました。本屋さんで、「買うと必ずもらえます栞」を目当てに、どれにしようかなと探して見つけたのだった。
思い出した。
もらえるかなと思ったら、その日はもらえなかったのだった。
電車用にしていたら、読み始めてから日にちが経ってしまったけど、先日読み終えました!
私が感じたことを振り返ってみたいと思います。記録なので、すみません。いつものようにネタバレ、長文決定です。すみません。
あらすじ
牧野康平は、父の代からの中華そば屋を営んでいたが、突然妻の蘭子を急病で亡くす。それ以来、気力をなくし店を閉めていた。ある日、「神の歴史」という本を読んでいると、本から一枚の葉書が落ちた。それは以前蘭子宛てに届いた葉書。そこには灯台の話が書いてあった。
蘭子は「こんな人は知らない」と言っていたのだ。康平は、灯台を巡る旅に出ることを思いつく。
この葉書が、ミステリーのように、謎解きのように最後まで引っ張る。なぜ蘭子はこの葉書をとっていたのか、なぜ「神の歴史」にはさんだのか。
読みながら読者は、康平の灯台の旅に付き合うことになる。
康平はあまりしゃべらず静かだが、思慮深い。娘、息子、古くからの友人等登場人物も、みなそれぞれ巧みに描かれて、どんどん読ませる。
灯台とは
灯台とは何を示すのかと思った。康平が灯台巡りを思いつく場面。
康平は高校中退。ただ黙々と、父親の代から中華そば屋で働いてきた。灯台に例えたら「雨の日も風の日も濃霧の日も」
「岬や半島の突端で黙して立ち続けるだけだ」(文中より)
そんな姿に自分を映してみたのかもしれない。または憧れているのかもしれない。そう思いながら読んでいると、ほら、後半に出てくる。
あまりとらわれなくてもいいと思うけど。
康平は、さまざまな人間を思い、それぞれの人生を思うのだ。
渋江抽斎
本筋から離れるのかもわからないけど、本の話が出てくる。
康平は友達に言われ、本を読み始める。店の2階が本で埋まる。
店に来た老人に、何を読めば良いのか聞く。最初に言われたのが「モンテ・クリスト伯」「レ・ミゼラブル」そして森鴎外の「渋江抽斎」だった。
渋江抽斎のいた昔も今も、人は必ず死んでいく。「わずか生後三日で死んだ子どもさえも、目には見えないなにかを残していく」とある。
この「一瞬の中に永遠がある」という言葉が心に残った。
文中に、「無限の時間」の単位が出てくる。仏典にある「百千万億那由他阿僧祇劫(ひゃくせんまんおくなゆたあそうぎこう)」というらしい。天文的どころではない。想像できない数字である。
一瞬の中にも、そんな永遠の時間があるということか。すごいなと思った。そんなこと考えたことなかった。
謎解きと余韻
葉書の謎は解決したけど、「なんだ、そっか」と思うくらいだった。謎解きが目的ではないから、それでも構わないのだと思った。
解説の藤岡さんが、「それでも最後まで読んでもわからないことがある」と書いていた。でも、だからこそ読者は思いを巡らせるのだ、と。
それはある。
その余韻が、小説を読む醍醐味や楽しみなのかな。
エレカシの宮本浩次は森鴎外を敬愛している。渋江抽斎も読んでいる。
「永遠の中の一瞬、一瞬の中の永遠」を私たちは生きている。
康平と友達のつながりがいいな。家族も再度つながっていく。家族じゃないのに繋がる人たちもいる。黙々と風雨に向かって立ち続け、灯を届ける人々がいる。歴史の営みを続けている。
そして、康平は新たな一歩を踏み出したのだ。良かったね、と思った。
あ、もう一言だけ言わせて。
「まきの」の中華そばが、めっちゃ美味しそうだった。チャーハンも。
食べてみたい。
*ヘッダー写真:表紙。康平の隣りに立っている子どもは誰だろう、とふと思いました。文中にこんなシーンは出てこないよね。