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インカレロードレースを応援に行く
子どもたちが部活で頑張っていた頃。
その応援では、たくさん楽しませてもらいました。
長男は高校生時代は水泳部で、試合会場に行くと、みんな合間に勉強をしていて、「さすが」と思ったり。
長女は中学の時はバスケ部で、あまり強くなく、試合中、ベンチの後輩から「センパイ!100点は取られませんように!」と声をかけられたりとか。(もちろん負けました)
いやいや、それぞれ頑張っていました。
でも、部活というところでは、やはり次男でしょうか。次男は中学、高校は陸上部で、大学時代は自転車競技部でした。最後のインカレを見に行った話が「スポーツ観戦記」ということでも一番かなと思うので、前にもその話はしたことがあるのですが、改めて書きたいと思います。
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次男は大学から自転車競技を始めました。
もともとストイックなところがありました。
中学高校と続けた陸上競技でも、その練習ぶりは、誰もが一目置くところでした。中学の時、「なんでセンパイはそんなに頑張れるのですか」と聞かれた程です。
自転車競技も、彼の性格に合っていたのでしょう。
走る姿も自転車をこぐ姿も、どこか不器用で、きれいなフォームではありません。
でも、コツコツと練習を重ねるのです。
己の限界まで。
大学は2年になると各学部でキャンパスが分かれるので、
日頃はそれぞれの場所で、ほぼ一人で練習していました。
そして、最後のインカレ。
私は遠路、信州まで応援に行きました。
1日目は、トラック競技。
スプリントとか、ケイリンとかいろいろな競技があります。
「速い!」
バンクを力の限り回っていく選手たちを見て、「自転車競技って、人間の持つ力だけで、一番速いスピードを出せる競技じゃないだろうか」と思いました。
次男も参戦。でも強豪チームは強いです。
私はいつも応援にはこっそりいきます。
余計な気を遣わせて、結果に影響したらいけないと思って。
変ですよね。
次の日はロードレースです。
彼はこれに賭けていたのです。完走を目標に。
地元の太鼓チームも出て盛り上げます。
遠くには山々が見え、豊かな自然の中のコースです。「クマに注意」なんて看板もありました。
全長150kmくらい。アップダウンのある周回コースを12周。下りもあるけど、もちろん登りもある。
私はスタート・ゴール地点から少し離れた、登り坂のところで応援することにしました。
選手たちが集団でやってきます。
私は、こっそりとかもう言っていられなくて、次男の名前を連呼!
「いけーーーー!!」
ロードレースは、チームの力が大事です。
前の選手の後ろにつくと、風よけになって、体力が温存できます。強豪チームは戦略を立てます。
息子は、孤軍奮闘でした。
ロードレースは過酷な競技で、先頭からある時間遅れると、強制的に下ろされるのです。20分だったか、30分だったか。
息子は2番目の集団にいます。
だんだんと先頭集団とその次の集団が離されていきます。
その時間が気になる。
そして最終の周回まで来ました。
まだ息子はこらえています。
耐え抜いてゴール!完走!
やった!見事、目標達成だ!
ゴールで、次男の名前もコールされました。
良かった!良かった!
・・・と喜んだのも束の間。
実は最後の1周で、時間オーバーだったのです。
大会本部の計らいで、最後まで走らせてくれたのでしょう。
正式記録ではDNF!(Do Not Finish)
フィニッシュできませんでした。
よく覚えていませんが、出場130人くらいの中で、完走は確か7人くらいだったと思います。次男のいた「完走したけど完走じゃなかったグループ」は10人くらいでした。
4時間以上も走って、記録なしだなんて、どんだけ厳しいんだと思いました。
でも、後で本人に聞いたところでは
「やり抜いたから」と案外あっさりしていました。
気持ちの良い青空の下、里山の緑と蕎麦の白い花が咲く山野を、必死に、力の限り、自転車を漕ぎまくる選手たち。
その光景は今でも目に浮かびます。
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自転車競技は危険を伴います。落車すれば大けがです。何年か前、同じインカレロードレースでは、一年生の選手が落車に巻き込まれ、亡くなりました。
次男が大けがもなく、競技を続けられたことに感謝します。
*ヘッダー写真。お借りしました。
この時の写真は、前のパソコンのどこかだ。