「いつか、わかる」
先日から「わかる」「わからない」について、考えている。
①朝日新聞近藤康太郎氏の講義で、参加者が「古典を読め読めと言われて、『カラマーゾフの兄弟』を読んでいるのですが、意味がさっぱりわかりません。わからないまま、読んでいていいのですか?」と質問した。それに対して、近藤氏は「そもそも、『わかる』ってなんですかね」と言われた。
②映画「悪は存在しない」を見て、その最後のシーンの意味がわからなかった。だがその後で、「わからなくていいのではないか」「見た人が感じたこと。それが大事ではないか」と考えた。
③カルチャーの講義を受けていて、先生が「宮沢賢治の詩は、わからないから、いいんです(面白いんです)」と言われた。私はハッとした。
「わからないから、いい」
「わかるって何?」と思った。
というのが、今までの経緯。
面白かったから、③の講義は、「難しいからついて行けるかな」と思いながら、次回からの授業を継続した。先日の講義では、宮沢賢治の詩をいくつか紹介してくれた。思った通りに、難解でわからない。
先生が解説してくれたから、ちょっとはわかった・・・気がした。
とにかく、そのまま感じてみた。
講義が終わった後、先生に、お声をかけさせてもらった。
「わからないからいいのだ」という言葉にハッとしたことなどを話していたら、先生は最後に、
「いつか、わかるというのが大事なんですよ」とおっしゃった。
私はまたまた、ハッとした。
そっか。「いつか、わかる」なのだ。
わからないままじゃなくて、わかるために、一生懸命さぐるんだ。
一生懸命考えるんだ。
そっかー!
さすが、本をたくさん読んで、研究を続けてきた先生の言葉は違う、と尊敬の念を深めたのだった。
それにしても、もったいない!
受講している人、たった3人なんだよ。
先生、資料は手書きで。
1時間半立ちっぱなしで。
*ヘッダー、お借りしました。宮澤賢治。
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