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読書日記~『苦海浄土』石牟礼道子著

今年もたくさん本を読みたいです。読んだ冊数は多くはないんですよ。目の前の棚は今、こんな感じです。読んだのも、今から読むのも。整理したほうがいいと思う。

今回は石牟礼道子。少し前に読み終わっていたのですが、書き出すのにちょっと身構えました。いつかは読まねば、と思っていた本です。


すんなりとは、読み進めることができませんでした。水俣病の患者の、悲惨な状況が胸に迫ってきます。闘いの記録もある。

それと、熊本弁なので、読み流すことができない。でも、方言の持つ、何とも言えない強さと柔らかさを感じました。歌のような、詩のような、謡のような、

「うちゃだんだん自分の身体が世の中から、離れてゆきよるような気がするとばい。握ることができん。自分の手でモノをしっかり握るちゅうことができん。うちゃじいちゃんの手どころか、大事なむすこば抱き寄せることがでけんごとなったばい。

P151より引用

著者は本書の「改稿に当って」の中で、「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」と言っています。

私は途中から、全部分からなくても、言葉そのもののリズムを感じていきました。

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この本は、ノンフィクションや記録、レポートというより、「文学作品」です。

渡辺京二氏は巻末の「石牟礼道子の世界」で、公害告発や被害者の怨念とかいう観念ではなく、「自律的な文学作品として、読まれるべきである」と書いています。(P368)

それは納得です。素晴らしさが分かります。数字の混じった詳細な報告書がそのまま記載されており、それさえ、「文学」になっていると思います。

石牟礼氏は、水俣病の現実を、これでもか、と突き詰めて書いた。紛れもない魂の声として書いた。そして、それらは水俣病だけでなく、地道に生きている住民の尊さ、人間としての尊厳を人々の心に訴えかける作品になっている。そう思いました。

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この後、「水俣・京都展」が開かれていると知りました。誘われるように行った話は、次回のココロで。


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