「言絶えた実在の知覚」を「思い出す」
現代の文学は、沈黙を恐れている、その饒舌さは、この恐れを真の動機としている。俳句ぐらい寡黙な詩形はない。芭蕉は、詩人にとって表現するとは黙することだという逆説を体現している。言葉にならない知覚、すなわち「言絶えた実在の知覚」がなければ、文学ではないと小林秀雄はいう。
初対面の数学者・岡潔と意気投合し、半日かけて語り合った『対談/人間の建設 岡潔・小林秀雄』(「小林秀雄全作品」第25集。新潮文庫版もあり)にも、小林秀雄の俳句「観」が述べられている。
30年来の付き合いがあった青山義高という骨董商が亡くなってからしばらくの後、青山の句集を出すから序文を書いてくれとその息子が小林秀雄のもとにやってくる。酒席で口約束したようだが覚えておらず、青山が俳句を詠んでいたことすら知らなかった。ならばと俳句が書かれたノートを読んでみると、素人の駄句には違いないが、何ともおもしろい。それは詠んだ本人を知っているからだ小林秀雄は考える。
作者を知らなければ作品を読むことができないというなら、批評というものは不可能になってしまうけれど、何か普遍的な美学が作れないものかと小林秀雄が問うと、対談の相手をしている岡潔も同意する。そして話題はゴッホや本居宣長、ドストエフスキーやトルストイにも及び、作者の人そのものが分かると作品も少しずつ分かるようになるのだという意見が一致する。
対談といっても酒宴なので、話題はあちらこちらへと揺れ動く。そして話はふたたび芭蕉に戻り、「不易流行」の意味を二人で考え始める。
「不易流行」は、芭蕉の弟子である去来がまとめた蕉風俳諧の一つで、『去来抄』に「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とある。不易は、変わらないことの意味で、時を超えた不変の真理を表す。流行は逆に、時代や環境に合わせて変革すること。いずれも大切であるが、その根本は一つであると芭蕉は説く。
それについて小林秀雄は言う。不易とは、動かない観念ではない。誰でも自分の歴史を持っている。生まれてからの歴史は、どうしたって背負っている。伝統や民族を否定しようと、記憶がよみがえることがある。自分の意志ではなく、記憶が幼児のなつかしさに連れていくのだと考える。
人には意識せずともよみがえってくる記憶が存在する。自分が生きてきた歴史である記憶に立ちかえり、それを詠み込んだ俳句こそ、その詠み人自身を体現する。だから、詠んだ本人を知っている場合、俳句はまた別の味わいがある。そして、これは俳句に関わらず、文学や美術を含む芸術全般にいえる。作者の人そのものを知れば、作品がわかる、その人の心持ちを「思い出せる」と小林秀雄は考えたのだ。
さらに小林秀雄は、言葉を継ぐ。
「言絶えた実在の知覚」を「思い出す」。それが小林秀雄の批評なのだ。
(つづく)
まずはご遠慮なくコメントをお寄せください。「手紙」も、手書きでなくても大丈夫。あなたの声を聞かせてください。