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リルケの芸術観からピュグマリオンを想起する
小林秀雄が「美」について考えた、詩人リルケの芸術観をもう一度読んでみる。
芸術家は美しい物を作ろうとはしていない。一種の物を作っているだけだ。苦心して作り完成したものが、作り手を離れて置かれたとき、それは自然物と同等になり、平静と品位を得るという。
それは向うから短命な人間や動物どもを静かに眺め、永続する何ものかを人間の心と分とうとする様子をする。このような不思議な経験は、確かに強烈なものであったに相違なく、人間はただこの経験の為に物を作ろうとした。最初の神々の像は、この経験の応用である。
引用というのは、他人の威光を借りて自説の裏付けをするような用い方もあるが、無言の同意という用い方もある。自らの言葉で語り直すのではなく、沈黙をもって完全に同意する、という引き方もできる。小林秀雄が『ゴッホの手紙』で多くを引用したのもそうである。
『私の人生観』で小林秀雄はリルケの文章をそのまま引用したわけではない。しかし素直に同意できるので、みずからの言葉で語り直している。そんなリルケと小林秀雄がお互いに、あるいは、それぞれ、「最初の神々の像」について、具体的に何を指し示したか、どの像を思い浮かべたかは、分からない。
しかし、連想が連想を呼ぶ、発想の波に身をまかせてたゆたうのが『私の人生観』を読む楽しみである。読み手もあらゆることを思い浮かべ、連想し、結びつけていく。そのうえで「最初の神々の」はさておき、「像」で想起したのは、ギリシア神話のピュグマリオンだ。
キプロス島の王で、大の女嫌いだったピュグマリオンは、理想的な女性を求めて彫像ガラテアをつくる。それを見ているうちに恋をしてしまい、人間になることを祈った。彼の胸の内を知った女神アフロディーテは、その彫像に命を与え、ピュグマリオンはガラテアを妻に迎えたという。
いくら理想の女性だといっても、ピュグマリオンはひとつの彫像をつくったにすぎない。後々、彫像に生命が宿ることを願って彫刻したのではない。ただ、完成したときには、物としての平静と品位が得られたのであろう。ピュグマリオンは彫像を真っ直ぐに眺める。そして彫像であるガラテアも、真っ直ぐにピュグマリオンを見つめている。美しい自然を見て心が動くのと同じように、ピュグマリオンは彫像に心惹かれたのである。そして、人間と彫像であれ、その間には「永続するもの」があったのだろう、女神アフロディーテは慈しんで、ガラテアに命を与えたのだ。
美というのは普遍的であり、絶対的である。
これを土台に、バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』がつくられ、さらに映画『マイ・フェア・レディ』にも発展した。それらがギリシア神話のピュグマリオンをまた別の解釈に導いていることは、ここでは触れない。ただ、19世紀フランスの画家ジャン=レオン・ジェロームによる『ピグマリオンとガラテア』は素直にいいなあと思う。
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(つづく)
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