心の眼で観よ
江戸時代の剣豪・宮本武蔵が死を迎える1週間前に述べたといわれている『独行道』のなかの一つ、「我事に於て後悔せず」という言葉に触れたことをきっかけに、小林秀雄は宮本武蔵の「見の目」「観の目」について思いをめぐらせる。ここは、『私の人生観』に強い感銘を受けた人々が、必ずといっていいほど言及するところである。
本文では「細川忠利の為に書いた覚書」とあり、『小林秀雄全作品』第17集p164の注釈によれば、「寛永十八年(一六四一)に書き上げた『兵法三十五箇条』のこと」とある。これは宮本武蔵直筆の原典が残されておらず、『兵法三十五箇条』というのも通称である。ただし、これが後の『五輪書』に結びついたことは明らかであり、この「見の目」「観の目」についても同様のことが書いてある。
このような宮本武蔵の言葉について小林秀雄は、立会いで相手の方に目を付けるとき「観の目強く、見の目弱く見るべし」と要点を押さえてから、言葉の説明に入る。
なんと解りやすい説明なのだろう。小林秀雄の文章は難解だという評価が定着しているが、ただ知る、認知することを「分かる」、考えたうえで理解することを「解る」というように使い分けるならば、小林秀雄を批判する人たちは、きっと「分か」らないのだろうし、「解」ろうともしないのだろう。
ひとつ気になるのは「心眼」という言葉。これは『小林秀雄全作品』第17集の本文にもルビがふっていないので、講演でどのように発音したかは分からない。しかし、物事の真実の姿をはっきり見抜くことができる心のはたらきを意味する「心眼」ではないのではないか。
この『私の人生観』でも小林秀雄がすでに触れた源信(恵心僧都)は『往生要集』において「行者は心眼を以て己が身を見るに、またかの光明の所照の中にあり」と述べている。これまで、仏教思想から「観」とは何かをひたすら論じてきた小林秀雄は、考えることによって得られる智慧の力によって、肉眼では見られない物や一切の本質を見抜くはたらきを意味する「心眼」と発音したのではないだろうか。
小林秀雄にとって、この「心眼」という言葉は大切なもので、文章でも講演でも繰り返し用いている。本稿でもよく言及している『信ずることと知ること』はもともと『信ずることと考えること』という講義をもとにした「講演文学」である。
『信ずることと考えること』は講義と、学生との対話が、いずれも音声として残っている。いま引用した箇所において、「心眼」という言葉は3回繰り返されているが、音声を確認すると、すべて「しんがん」と発音している。仏教の話をしていないので、「心眼」ではなく「心眼」でもいいのか、それとも、音としてはもともと区別してなかったのかどうかは分からないが、興味深いところでもある。
(つづく)