感動は分析できない。そこで文章が生まれる。
絵を描く芸術家も、絵をみる側も、一人一人の個性は違う。だが、優れた芸術には共感できる普遍性があり、生きる自信に満ちた心をつくりだす。その心は、どんなに個性が異なろうが、共感をひろげ、人と和することができると小林秀雄は説く。
「美」とは何か。そんな哲学的命題に小林秀雄は軽々しく答えを出さない。「美」は人を沈黙させる。「美」は解るものではなく、求めるものだ。観念でも通念でもなく、眼の前にあるものを求めてこそ「美」なのだ。その集大成が、1957(昭和32)年の『美を求める心』(「小林秀雄全作品」第21集)である。
だが、『美を求める心』の9年前である1948(昭和23)年の『私の人生観』では、まだまだ思索を楽しんでいる。
小林秀雄は「批評だって芸術なのだ。そこに美がなくてはならぬ。そろばんを弾くように書いた批評文なぞ、もう沢山だ。退屈で退屈でやり切れぬ」(『コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで(座談)』「小林秀雄全作品」第15集p29)という気持ちが十分に深まっている。自分を批評家として成り立たせた文芸時評からは第一線を退き、戦中は『当麻』『雪舟』など、主に日本の古典的な芸術について、自分の心の向くものを選んで、批評というより、随筆に近い作品を発表していた。
1976(昭和51)年、文学と言語学を橋渡しする文体論の研究者である中村明のインタビューで、小林秀雄は批評の出発点は「感動」だと語っている。批評は作品や作者への悪口だ、小林秀雄は対象をこきおろして溜飲を下げているという「悪口」があるが、決してそんなことはない。『西行』を読めば西行の歌と生涯を知りたくなり、『鉄斎の扇面』を読めば写真でいいから観たくなる。それは、はじめに感動があるからだ。
そして、感動は分析しがたい。そこで文章が生まれてくるというのは、どういうことか。これは小林秀雄がよく用いる逆説ではない。
そろばんを弾くように書かれた批評など退屈だ。だから詩を書くような批評を書きたいと、小林秀雄は座談『コメディ・リテレール』で語っている。言うに言われぬ感動を、どのようにして言葉によって現すことができるか。工夫に工夫を重ねて、批評を書くことに成功したのが小林秀雄なのだ。
(つづく)