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Podcast_哲学する哲学対話#6「学問は思考の可動域を拡げる?」(ゲスト:久保明教②)

🎧今回の最新回は、こちらからお聞きください。↓

みなさま、こんにちは、ソトのガクエン代表の小林です。

今回も前回に引き続き、人類学者の久保明教さんをお招きし、「学問は何の役に立つのか?」をテーマに議論しています。

前回、久保さんは、「学問は何の役に立つのか」という問いに対し、三つの応答があるとして、学問が知識を作るという点で、私たちの生活の役に立ってしまうことがあるというのを、漫画『ちはやふる』や野球における古文の役割に言及しながら提示されていました。今回は、残りの二つについてお話されています。その二つとは、下記の通りです。

応答2 学問は人々の思考の可動域を広げることを可能にする。
しかしながら、学問は思考の可動域を広げるものであるけれども、その結果、これまでの思考の枠組みを狭めたり、壊したりするものであるという面も同時に見なければならないことが指摘されます。

応答3 学問(特に人類学)は、「役にたつ」ということ自体を問う。
また、「役にたつ」という発想自体が、あらかじめ実現すべき価値や目標(y)を設定し、それをいかに実現するのかを考える(fx)という等式で考えることが強制されてしまうが、この等式自体を問い、この等式自体を変化させる可能性に関わることに人類学の役割があるということを主張されていました。

とても深い議論が展開されております。ぜひお聞きください。

応答2(直接的な応答):思考の可動域を拡げる/人類学の授業の組み立て方/人類学という学問の苦悩/拡げるとともに狭める/カント『純粋理性批判』が全部悪かった/呪術と医学/経験と超越論的近代的世界との調停という問題・構図の発生と人類学の発生/思考の可動域を拡げるという言い方の耳通りの良さ/本当は辛いこと/応答3(問い方への疑義):「役に立つ」という言い方自体が問いの対象となる/y=fxのyの価値は問われないという問題/何らかの価値があるということ自体を問う必要性/ 

#6 学問は思考の可動域を広げる?(ゲスト:久保明教②)

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