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シャーデンフロイデ

「ひとの不幸は蜜の味」

この肉体にも備わってる。
プリインストールソフト。
肉体のOS。
そんなプログラムを実装するかどうか、私は選んでいない。選べない。

蜜の味。快感。
ジワり感じられるようなあまーい味を知ってる。
ストレスの発散も担ってるとのこと。
もっと欲しい。
メシウマ。
「あの悪に天罰を!」(ああ気持ちよくなりたい)
「それは罪ではないのか?何か天から罰は訪れないのか?」(わくわく期待)

過去、どれくらい前、どれくらいの期間かはわからない。
でも、かなり長くそうだったんだろう。
「自己(私)の保持・継続」
「属する集団の安全(=自己の安全)」
「種の保存(=自己の繁殖)」
その時々、その人々が、祖先たちが選んだんだろう。
いや、その方達も、その感情が、その甘味を苦いと言えなかったはず。

「ああ、何か胸糞悪い感情だな、消し去ろう。」
無理。無駄。

「そういった感情がある事に気付いたんだ、瞑想やら何やら心を浄化すればアンインストールできる。」
無理。無駄。
こう言うのは誰か。
一体、瞑想するとか浄化とかアンインストールするとか言うのは誰か。
この発言がもはやシャーデンフロイデ発動。
正義執行の快感。

油断も隙もありゃしない。

それは肉体に備え付けられて生まれた。
必要だったから。
浄化すべき汚れとか言う話じゃない。
今の時代に必要かどうかなんて関係無い。
長い時間の繰り返しの中で生きるのに必要だったから与えられた。



気付いて眺める。
ただ照らす。
「やめろ」とも、「それでいい」とも言わない。
ただ、あるがままの姿、機能を眺める。
「善くも悪くもない」と。

太陽がすべての人を識別判断せず照らす様に。


その後の事は、何であれ起こる。
「我はこの事を知った」と言って、あれこれ手を加えても、
「我は何も知らない」と言って、何の手も加えようがなくただ眺めても、
肉体と現象世界に何かが起こる。

もし仮に不必要になれば、プリインストールされたのと同じように、
長い長い時間をかけて薄れたり消えるという事が起こるんだろう。
知らんけど。

別に、そこに何も期待するようななんもない。

本当の気付きは、別にこれと言って「私」の役には立たない。

気付きは「私」の道具ではない。
どちらかと言うと「私」側が「気付き」の道具と呼べるかもしれない。

その道具の耐性のような一性質として、罰や悪といった対極の人を創造し、
その人の不幸が、あまーく感じられるようになっている。

もちろん個体差はかなりあるだろうけどね。

人っておっかねー。
私もおっかねー。
でもあまーい。
でも、かわいそうかも。
でも、おもしれー。なんかすごい。

おっと。
太陽は何も言わない。

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