だいちそら

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最近の記事

執着のこころ

「長く生きよう」などと目論み生に執着すれば、不健全ながん細胞の様な存在となり、肉体には不健康が訪れる。 「今日、いやもう終わってもいい」と執着せず肉体を守るのをやめた時、健全なあるがままの循環に入り、肉体には健康が訪れる。 皮肉なもんだよな現象世界なんて。 思いとは逆になるんだもん。 私の心、つまり脳に妙な癖がついてる。 執着心がある。 あれもこれも、どれもそんな大層な意味や価値はないんだ。 気をつけよ。

    • 雨は嫌いだとか言う私

      夏の暑さがイヤだ。 冬の寒さは勘弁してほしい。 雨降って欲しくない。 あの人に会いたくない。 きみ、そんな事言うなよ! 向かい風よ止まれ! どうしようもない。 すべて、この手から離れてる。 何をどう感じて、思いを馳せて、対象を変えようと手を加えてもムダ。 すでに生まれたそれに私は無力。 それらはすべて、その姿、性質でありのまま。 こっちの都合で変わる必要もなければ、変えようとするなんて以ての外。 変えるとかいったい何様だよ。 ほっとけば勝手自然に変わるし、どっか行っちゃう

      • ずっとあるもので遊ぶ

        今あるもので遊ぶ。 無いものは気にしない。ほっとく。 「今の自分には無い」などと言って、探して買ったり、持ってるように見えるあの人から奪おうとしてる間はつらく苦しい。 巷では「お前持ってないだろ?」と、渇かされるような呪文で溢れている。 そうする事でエネルギーが回る仕組みとなっているようだ。 でも本当は、道具、荷物、手段は少ないのがいい。 言葉も、車など移動手段も、衣服も、部屋空間も、食べ物も、思考も、そしてこの肉体も。 どれも手段であって目的地ではない。 目的地に到達し

        • 何を観るかで勝手に決まる

          格闘ゲームをやる。 いや、格闘ゲームをやる事が肉体に起こった。 その時、自分の操作するキャラクターを見ていても何も出来ない。起こらない。 自分のキャラクターだけ見て何をどう動けばいいと言うのか。 おっと攻撃され体力が減っているではないか。 そこで相手のキャラクターをみる。 すると、考える前に自分のキャラクターは動く。 守りや攻撃や技が少しづつ勝手に選ばれる。 包丁を見る。手に取ってみる。 包丁を持ち替えてみたり、ひっくり返したり。 よく研ぎ澄まされた物のようだ。 うん。

        執着のこころ

          興味

          興味、関心、心配。 気になる。 誰が?誰のことを? 目の前のその人に興味、関心があるようで、実は自分に関心がある。 意識されるその対象を心配しているようだが、実は自分を心配している。 自分に興味がある人ほど、外の対象に興味が向きエネルギーを注ぐ。 個体としての肉体は自分自身にのみ興味がある。 だから、他人を見たいんじゃない、元々はひとつのものを、 識別、判別、区別する事で「他」とし、見事に「自」を形成する。 それをやったつもりでいるエゴは満足する。 そしてその巧妙な

          文字や言葉はきっかけに過ぎない

          手段のひとつに過ぎない。 それでなくてもいい。 私はこれまでずっとそれを大量に何度も使ってきた。 そして今どうだろう。 ぶっちゃけ、聞いてるだけだから、本を読んだりしてるだけだから本当の自由の味がわからない。 うるさくするから、微細な音色が聞こえない。 辿り着くなら。 探しものが見つかるなら。 あらゆる努力が終わるなら。 言葉を並べ立てようが、 ストレッチしようが、 すこし散歩しようが、 ただぼーっと沈黙して座っていようが、 手段はべつになんでもいい。

          文字や言葉はきっかけに過ぎない

          映画「華麗なるギャツビー」を観て

          何かを求める時、過去を見ている。 もう過ぎて去っていた無いものを見て、 執着して、追いかけてる。 身につまされる思い。 映画では、主人公が過去を取り戻すためのストーリーが進む。 お金の魔力にその身を捧げ、さらに生まれを覆い隠すような立ち居振る舞いとに細心の注意を払って。 未来を創造しようとする。過去に目を向けて。 誰も、私も、過ぎ去った甘い思いを味わおうとする。 苦いものや辛い味を避けようとする。 同じ味を求めて、その味の原因を探して再現しようとする。 「こうすればこう

          映画「華麗なるギャツビー」を観て

          すぐ、逃げようとする私

          私はすぐ逃げようとする。 「ああなんか退屈。つまらない。なんて世界だ。。」 退屈が訪れた。 退屈から逃げようとする。 テレビ、スマホ、動画、本、ゲーム、お金遊び、買い物、お菓子。 とにかく、一時的にでも逃げられるなら何でも向かう。 強い刺激たちへ。今すぐ。 実はそれらももう飽きてきてる。 すぐにまた訪れる退屈。 逃げられない。 逃げようとしても無駄。 私は逃げ切ったつもりでいるかもしれないが。 逆に少し立ち止まってその訪れを味わってみる。 できる範囲で。 よーく咀嚼して

          すぐ、逃げようとする私

          しゃくりあげて泣く

          人は泣く。 私は泣く。 目から涙がこぼれてくる。 勝手に。 どうして泣くんだろう。 どうしてあの時、あんなもので、あんなに泣いたんだろう。 今それを思い返してもまったく涙の気配はない。 悲しくて泣く。 嬉しくて泣く。 悔しさのあまり泣く。 寂しくて泣く。 笑いすぎて泣く。 食べ物が辛かったり、目に刺激物が入ったりとかは今回は除きます(笑) 人によっては意図的に操作して泣く。 顔に起こるその現象は、それを目にする相手に強烈なメッセージとなる。 赤ん坊、子供も大声で鳴き

          しゃくりあげて泣く

          シャーデンフロイデ

          「ひとの不幸は蜜の味」 この肉体にも備わってる。 プリインストールソフト。 肉体のOS。 そんなプログラムを実装するかどうか、私は選んでいない。選べない。 蜜の味。快感。 ジワり感じられるようなあまーい味を知ってる。 ストレスの発散も担ってるとのこと。 もっと欲しい。 メシウマ。 「あの悪に天罰を!」(ああ気持ちよくなりたい) 「それは罪ではないのか?何か天から罰は訪れないのか?」(わくわく期待) 過去、どれくらい前、どれくらいの期間かはわからない。 でも、かなり長くそ

          シャーデンフロイデ

          ホワイトノイズ

          まったくの暗闇、虚無というよりは、 隙間なく、永遠無限にエネルギーが充満している感じ。 昔、テレビを2チャンネルに合わせると、 スピーカーからはザーザーと音がし、 画面には砂嵐の様な何かが写っていた。 これをホワイトノイズと言うらしい。 この世は2チャンネルみたい。 目では、映し出された砂嵐の、極めて一瞬の一部分を「ウサギ」だと捉える。 耳では、ザーザーという音の中の一瞬から、ある人は「こんにちは」という人の声だったり、またある人は「チュンチュン」という鳥の振動を捉える。

          ホワイトノイズ

          音声テストくらいの

          それとなく話してみましたー。

          音声テストくらいの

          音声テストくらいの

          今、この瞬間の意識のみ

          「今、この瞬間が全て」と言おうとしたけどやめた。 「全て」が意味するのは、識別された個々や部分の集合で、 その脳で識別され輪郭を持ち、名前を付けた分離されたものは幻想だから。 意識は、広く呼ばれる「顕在意識」「潜在意識」どちらも同じ。 「意識」「無意識」という曖昧な表現でもよく使われる。 ある国では、それら「表と裏」みたいな区別は無く、ひとつのそれとして扱われるらしい。 脳、肉体、感覚器官と知覚、神経細胞の次元より前とか上とか。。 もっとも原初のもの。 意識だなんだと、

          今、この瞬間の意識のみ

          神も仏もいない

          そんな個人の都合の悪い時に、 個人の思いにとって、都合の良い救いの存在なんていない。 元々、すべてがそのままそれで救われている。 痛い、つらい、苦しい、さみしい。 キモチイイ、安らいでいる、楽しい。 変化する。 映画のフィルムは休みなく忙しく回っている。 痛い時、辛い時こう思う。 「これはどんどん強くなって、ずっと続くのではないか」と。 快い時、楽しい時こう思う。 「これは次第にうすれ弱くなって、もう間もなく失われるだろう」と。 こんな呪文を唱えておいて、神も仏も

          神も仏もいない

          進行方向

          良さを知らなければ向かいようがない。 苦しさを知らなければ避けようがない。 この肉体に欲望は生じる。 この肉体にそれが生じなかった時はなかった。 我慢とか努力とかそういう話じゃなかった。 目の前にある現象は、とある原因の結果。 肉体はその結果を知覚して、入力して内部で反応が起こる。 コンピュータと同じようなもの。 入力(知覚)され、内部処理され、出力(思考や行為)される。 コンピュータは自ら「してない」。 それをさせる誰かがいる。 入力、内部処理、出力。入力・・・ ただ

          ずっとそこにあれば気付きにくい

          泳ぐ魚にとっての水のようなもの。 肉体にとっての空気のようなもの。 愛とかよくわからない。 ずっとそこにあって感じ続けてるから。 愛とか言うのをわかったり、感じ取ったりするのは、 愛とかいうそれを失ってる時だけ。 でもそれは失われることなくずっとあるから、 やっぱりわからない。感じられない。 それでいい。ずっと共にあるし、それ自体だから。 こうやって言葉をつかって見えないもの、触れられないものを 表現しようとするけど、言葉を重ねるほど遠ざかり見失う。 ケーキの甘さ

          ずっとそこにあれば気付きにくい