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【詩】有異流巣
寒四郎は盗人だ。たわわに実った稲を盗んでいた。しかし一部の稲は残っていた。中途半端だった。寒四郎が稲を盗むと決まって気温が下がり天気も曇り霜が降りた。稲を盗まれた村人はその日のうちに残された稲を刈る作業を強いられた。曇天が続き天日干しができない米の品質は落ちた。村人たちは検地に来ていた石田三成に寒四郎の悪事により米を納められないと訴えた。三成は村人たちの言い分に納得した。三成は豊臣秀吉にこのことを報告したが秀吉は軽んじた。その秀吉の態度が三成は納得がいかなかった。そこで三成は寒四郎について調べアジトを突き止めた。そして寒四郎を捕えて秀吉の前に突き出した。秀吉は三成の責任で処分を任せた。河原に晒された寒四郎の首に村の子供たちは石を投げつけた。気温は下がり続け雪の降る日が続いた。野菜も育たず餓死する村人が出始めた。そこで三成は寒四郎の首塚を建てて首を納め坊主に結界を張らせた。ようやく気温は元に戻り太陽が見えるようになった。畑でとれる作物も再び増え始めた頃ある村人が殺され家畑田んぼを賊に占領された。報告を受けた三成が村へ賊を捕らえに行くと姿がない。しかし村人が次々と殺されていった。三成は焦った。家来を集めて村の警備をさせたが家来も次々と殺害された。三成は賊がただものではないと感じた。忍びの類か。三成は自分に仕える甲賀の忍びに賊を探させた。すると忍びは深傷を負って戻ってきた。そして賊が石川五右衛門とその一族であることを報告した。戦闘力が強いということや寒四郎は五右衛門の手下であったことも。あっという間に一つの村は五右衛門一族に乗っ取られた。色々な仕掛けが施され誰もその村には近寄れなかった。その村を拠点にし五右衛門一族は正義と称して京の町で盗みや悪事を働いた。碁盤の目の町のネットワークを断つように放火や破壊をしてあちらこちらで被害をもたらした。秀吉をよく思わない村民たちは五右衛門一族に乗じて一揆を起こした。三成から報告を受けた秀吉は秩序の崩壊を恐れ五右衛門を捕えるために懸賞金をかけた。懸賞金を巡って各地から力自慢の者たちが京の町に続々と入り込み五右衛門を追うこととなる。