自己満上等、ビバ偽善。
募金、ボランティア、お年寄りに席を譲る、
他人へのちょっとした気遣いなど、
世の中には善行があふれている。
しかし、たまに誰かの善行に対して、
「自己満足でしょw」
「偽善者乙」
などと言って冷やかす人間がいる。
やかましい。
自己満だろうが偽善だろうが、
誰かのためになっている行為であれば、
それは称賛されるべき素晴らしい行いだ。
仮にその善行の動機が
「募金のスクショをSNSに載せよ〜」
「この人に恩売っておけば良いことあるかも…」
といった少々不純なものだったとしても、
その善行で助かった人がいるのは揺るぎない事実である。
そもそも人間の行いなんて、
元をたどってみれば全部自分のためではなかろうか。
誰かに優しくするのは、
その人が喜んでくれたら自分が嬉しいから。
毎日仕事を頑張るのは、
稼いだお金で自分や家族が生活していくため。
誰かの笑顔…社会貢献…恩返し…
それらを視界の中心に据える人もいるだろうが、
根本的な行動原理には自己の利益があると思う。
でも、それで良いでしょ。
自分が良い気分になるために善い行いをする。
その善行によって誰かが幸せになる。
いわゆるwin-winというやつだ。
自己満だの偽善だのは、
善行をサボりたい人間が作り出した言い訳。
誰にも迷惑がかかっておらず、
むしろ助けになるのであれば、
どんな動機であれ、その行いには意義がある。
しかも、"自分のため"というのは、
他の動機に比べてよっぽど信頼性が高い。
悲しい話、いざ自分が追い込まれた時、
他人を裏切る人間はいるが、
基本的に自分だけは裏切らない。
というか裏切れない。
つまり、自分のための行動は遂行可能性が高い。
自分が気持ち良くなるから「またやろう」とも思える。
それに、他人をモチベーションの軸にすると、
期待したレスポンスが無かった時に
「もう次からやらないでおこうかな…」とか、
「優しくしてあげたのになんで…!」とか、
せっかくの善意が変な方向に捻れていってしまう。
他人を思いやることはとても大切だし、
思いやりが繋がって善行の輪が広がれば最高だ。
でも、どれだけ他人を思っていても、
人間は自分の体でしか生きていけないし、
自分に余裕が無ければ他人を思うことすらできなくなる。
であれば、行動原理の軸は自分の中に持っていよう。
自分を喜ばせるために誰かを喜ばせれば、
自分のことも相手のことも裏切らず、
みんなの心を温かくできるんじゃないかな。
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