映画レビュー「aftersun」 憧れた"未来"から最も愛おしい"過去"を俯瞰する
公開前から気になっていたにも関わらず見逃していた作品。
アマプラにラインナップされおりようやく鑑賞できた。
いつもは初見後にRHYMESTER・宇多丸さんの映画レビューやその他映画レビューYouTuberの動画などを答え合わせのようにチェックしている私だが、本作は「他者の見解を交える前にまとめたい」と思い鑑賞直後にキーを叩いている。
それくらい私にとって何度も見返したい大切な作品になった。
※一度しか鑑賞していないので、細かい見落とし等はご容赦ください(汗)
この映画は、父・カラム(当時31歳)と娘・ソフィ(当時11歳)のひと夏の思い出を、現在のソフィ(31歳)がビデオカメラの映像を通して振り返っていく作品。
普段は離れて暮らしている二人だが、夏休みに久しぶりの再会で親子水入らずのリゾート地旅行へ。
102分ある作品の9割はリゾート地を楽しむ親子の映像で占められているが、それらの楽しい出来事たちも常にどこか切ない空気をまとっている。
この旅行が終わるとまた離ればなれだから切ない?父と娘の思い出を俯瞰しているからそれだけで切ない?
もちろんそれもあるが、きっとそれだけではない。
このビデオに収められた映像は、父と娘の距離(物理的にも心の面でも)が最も近かった時間の映像であると同時に、これから互いの距離が離れていってしまう前兆でもあると私は思う。
ソフィはカラムと親子の時間を過ごしている間は無邪気で可愛らしい11歳の少女だが、ひとたびカラムがそばを離れると、決まって目をやるのが歳上の男女グループ(高校生〜大学生くらい?)。分けてはキスをするカップル。
歳の変わらなそうな子を指して「あの子と遊んできたら?」とカラムに言われ「やだよ、あんな小さい子」と言うシーンがあったが、親子でビリヤードをしているところに青年二人組が近付いてくると「ダブルスやる?」と自ら声を掛けていた。
さらに、後半では仲良くなった同世代の男の子とキスをする。
そう、ソフィは今まさに大人への階段を上り始めているのだ。
リゾートでの時間が過ぎるにつれて二人の日焼け跡(aftersun)は濃くなるが、夏休みが終われば日焼け跡は薄れていき、ソフィはカラムの知らないところでどんどん大人になっていく。
親子で日焼け後用のローション(aftersun)を塗り合いながら会話するシーンもビデオに記録されているのかもしれないが、仮に映像で残っていても物理的な距離が縮まったり、あの日のかけがえのない思い出が返ってくるわけではない。
断片的に登場する現在のソフィはあの頃のカラムと同じ31歳になっており、背後に赤ちゃんの鳴き声が響く中で疲れ切った表情をしている。
劇中の登場シーンで現在のソフィに笑顔は無かった。
あの頃の自分は父との時間を純粋に楽しみ、大人に憧れ、自身の時間を"未来"に進めることを望んでいたが、あの頃の父と同じ年齢になって子を持った自分は、ビデオを通してひとり"過去"を振り返っている。
だが、私は大人になったソフィが「現在を悲観して過去に救いを求めている」とは思っていない。
その根拠は、11歳のソフィがカラムに言った以下のセリフにある。
この言葉がビデオに残っていたのか定かではないが、きっとソフィはあの頃から現在までこの思いを持ち続け、カラムと同じ空の下から同じ太陽を見上げていることだろう。