本当の意味で「自分の言葉」というものは存在するのだろうか?【通勤時間エッセイ】
「言葉」は誰のもの?
私たちは誰かから言葉を学んで、言葉を発するようになる
私たちは母親から生まれ、母親やその役割を持った人に育てられます。
言語を習得するのもその時期だと言われています。
その後他者との会話や読書を通して語彙を広げていきます。
ここまでのプロセスは全て、他人から言葉を教わっている、のです。
では、誰かから学んだ言葉の中の世界にいる我々が「自分の言葉」を発することはできるのだろうか。
表現はすべて借り物である
私はそう考えます。
例えば「美味しい」「好き」「きれい」
これら何かを評価する言葉は、後天的に教えられた言葉を自分の感性に当てはめています。
他人から教わった言葉を当てはめて使う、まさに「借り物」だと私は思うのです。
その「借り物」を使って表現する我々に、「自分の言葉」は本当に存在するのでしょうか?
以上!
私自身、あれ?ってなりながら書いた文章ですが、とにかく書くをモットーに!これからも書き続けます!
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