第1章 V 身体軸の回旋と体幹と四肢の連携-西野流呼吸法「華輪」3)回旋しながら身体の真後ろを見下ろす-華輪下段の振り、4)華輪は急に止めない-回旋している身体の内部感覚を味わってそれに従う
第1章 V 身体軸の回旋と体幹と四肢の連携-西野流呼吸法「華輪」
3)回旋しながら身体の真後ろを見下ろす-華輪下段の振り
上段に続いてさらに脊柱に捻りを深くするのが華輪の下段の振りである。
今度は回旋のたびに反対側の足の踵を上から覗き込む動作となる。
したがって多くの脊椎骨の間の関節群とこれを支える背筋群には一番のストレッチがかかる(Wikipedia、英語版多裂筋、https://en.wikipedia.org/wiki/Multifidus_muscle)。
その捻りの圧は、腰部の仙腸関節部と構成筋群にも関連すると考えられる。
(参照:エピソード(8):骨盤の構造、https://note.com/deepbody_nukiwat/n/n45fc699329cf)
最初はあまり頑張らず、無理なく回す。体の力が抜けるにつれて、深く回せるようになる。
息を吐きながら、吸気は自然にまかせ対側に戻りながら。
華輪での吊るされた身体が回旋するイメージは、下段の回旋で最も留意する。
吊るされながら、反対側の踵を上からのぞき込む。
この下段の振りは、最初の中段の振りがスワイショウにも共通する腕を中心にする回旋であったが、ここでは振り返ることによる頸椎のストレッチ、上段と同様に下肢の指先の筋群まで充分テンションがかかっている。
右へ、左へ、バランスよく全身の連続する腱・筋膜系システムを再確認しながら回旋する。ハイハイや水泳のクロールにも匹敵する左右の上肢から体幹、そして下肢への連続したスムースな身体、Locomotion(その原理となる一側緊張、対側弛緩)を訓練してゆく。
4)華輪は急に止めない-回旋している身体の内部感覚を味わってそれに従う
下段を60回程振ったら、最初の中段の振りに戻す。
中段でしばらく回旋する。
三段階の振り200回のあとで再度中段に戻ったので、今度は不思議ななめらかさで身体は回旋するようになっていることに気づく。
身体軸が生まれたという感覚である。
「ヒトは直立しているから物理的な身体軸はあるだろう」、しかしこの常識的考え方は本当か?
身体軸というのは、華輪の回旋で体幹筋群がバランス良く統合された時、初めて自身の感覚として生まれるものではないか?こんな感覚を自分は持っている。
この体幹筋群により生まれた身体軸であるから、次の対気で相互の身体軸が感じられるのでないか?その身体軸にイメージで働きかけることができるのでないか?
決して物理的感覚の体軸感覚ではない!
このなめらかな動きを確認できたら、回旋するモーメントを緩め、自身の内部回転感覚に集中して、ゆっくりと自然に止まるのを待つ。
この点は即時に回転を止めるラジオ体操の回旋運動とは全く違う。
おそらくスワイショウもこうした止まり方をしないのではないか。
実際に初心の頃は、この内面の動きはそんなにも続かない。
力が入っているからか、努力をしてもあっけないほどソサクサと止まってしまう。
それが身体の力が抜けてくると、振幅は小さくなりながら何時までも続く(西野流呼吸法YouTube、華輪、リンク、https://www.youtube.com/watch?v=GUX25du55j8&t=2s)。
そんな身体軸を感じながら回旋運動していると、腕以外に、膝も左右に滑らかに回旋している。
不思議なことに、腕よりも膝の回旋感覚が、徐々に小さくなりながら、いつまでも続く。
その小さくなってゆく振れを、静かに眺め感じているような感覚がある。
西野先生は、こうして自然に華輪が止まると、今度は両手と丹田に充実が戻ってくる、三元充足に戻るとおっしゃる。
私にはこの内容が10年以上、あるいはもっと長く自分の身体では理解できなかった。
しかしある時期から、だんだん振幅がなくなり、動きはなくなっても、体の中では尚しばらく回転していることが感覚できるようになった。
そしてそれがいよいよ止まる頃、両手に充実が戻り、丹田感覚も戻ってくるようになった。
こうした不思議さは、単なる記述ですまない。
かなりの時間をかけて、身体を緩めていく、身体をほどいていって(別の言葉で言えば、便利で使い慣れた四肢中心の身体の使い方、運動野にも繋がるLMC的制御から、体幹筋群を中心にしたMMC的制御の世界に解れていくのか?)、初めて可能になる感覚である。
身体を習うとは、こうした時間のかかる過程である。
むしろ、大人になり忘れている、懐かしい、だからある意味で「新たな身体の感覚の発見」というべきものが西野流呼吸法、基礎の中にいろいろ組み込まれている。