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「心をゆるめる」ということ

ここのところ体力的にはさほどでもないんですが、精神的に疲れているようで、全くもってやる気がでません。

直近で仕事はあまり忙しくなく、プライベートでは先月までTOEICの勉強をやっていたのですが、TOEICの本番も終わりそれも一区切り。
一方で、近しい人からはTOEICへの取り組みが中途半端で、もっと気合入れてできたはずとお叱りを受け、もっと自分を追い込んで受け直すなり、全く違うこととして、例えばジムでとにかく毎日2時間体を動かすとか、それくらい振り切って何かやってみろ、と言われています。

でも、全然やる気出ないし、やりたくもない。
ジムなんかも家の近くのジムを調べる気にもならない。
元から自分を追い込むのが不得手で、自分ができそうなレベル感をきちんと計画を立てて、淡々とこなして目標達成を目指す、みたいなスタイルが得意なので、余計に心が拒否してしまっているのかもしれません。

そんな状態だったんですが、これまでだったら、それでも何とか頑張ろうとしていました。
でも、今回はむしろそのやる気の出ない気持ちに身を委ねることにしました。
だって、やりたくないことを、やりたくないタイミングで始めても、そんなそもそも自分が不得手かつ高負荷なことなんかできるとも思えないですし。

具体的には、とにかく極力何もしない。
勉強も、何かを調べたりもしない。
体を動かさないだけでなく、心も動かさないように、感情が揺さぶられるような読書や映像鑑賞もなし。
ただ、心と気持ちが戻ってきて、エネルギーがたまるのを待っているだけ。

これまでは、こういう自分の心の緩め方ができなかったんですが、少しやるだけでも落ち着く感じがします。
刺激を減らして、心を回復する感じ。
始めてまだ2日ですが、これまでは疲れた時も外からのプレッシャーをまともに受け止めようとしてきていて、「そりゃ疲れるよ」と今までの自分を客観的に見る余裕も出てくる気がします。

本当に疲れたり、メンタル的にも沈んでる時は、「とにかく何もするな。気分転換と称して何かをやったとしても、結局体や心に負担をかけてるんじゃ休んだことにならないから、何もしないことを受け入れろ」とはよく言われることですが、まさにその通りだなぁ、と。

過去にも体力的・精神的に疲れ果てて、週末に「結果的に」何もできずに寝てるだけ、みたいなことはありました。
しかし、今回のように「自分で選択して自発的に」そういう状況を作ったことって実はあまりなく。
いや、これ結構いいですよ。
人間、疲れた時は休まなきゃダメだな、無理している自分に気づかないとダメだな、と気づきますね、これは。

とはいえ、自分の場合は本当に回復するには環境から見直す必要があったりしますので、まずは「積極的に何もしない」という英断を噛み締め、心をゆるめて、力が戻ってくるのを待とうと思います。


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