死にたい気持ちは無くならない
私はここ数年ずっと死にたい気持ちに苛まれている。でもリアルな知り合いに死にたいと言ったことはないし、みんな私が死にたいと思っているなんて微塵も思わないだろう。
もし私が明日自殺をしたらきっと周りの人は驚くんだろうな、包丁で頸動脈を切って血が吹き出たら綺麗なんだろうなという妄想は何度も脳裏をよぎったことがある。
でも本当に死んだりしないから安心してほしい。自殺をされた周りの人って、どうにかして防げたんじゃないかという呵責に苛まれることになるから。それだけは避けたいと思っている。病死や事故死よりも死後の処理も大変そうだし。
今は比較的気分が安定しているから悠長に周りの人の気持ちを考えられているが、死にたい気持ちが高まっている時はそんな余裕はない。今すぐ死んでしまいたい、明日が来るなんて耐えられない、この世から消えて生きていたことは全部無かったことにしてほしいという思いが脳の中で暴れ回り、私を死に向かわせようとする。食欲も微塵も無くなるし、餓死してもいいとさえ思う。
そんな気持ちの高まりも、大体30分もすれば少しおさまる。発作のようなものだと思う。この発作の繰り返しの中に私は生きている。発作だと知っているので、30分間ベッドの中でなんとか耐えている。もう何百回とこの発作を繰り返しているのに気持ちの辛さには慣れることができない。毎回鮮烈な苦しみと共に1人で涙を流して産まれてきたことを呪い、無責任に産んだ母と無責任に射精した顔も知らない父を恨む。
死にたいと思うようになって、YouTubeや本などで死にたいと思うことへの対処を調べるようになった。精神科を受診して処方された薬をきちんと飲むこと、日光を浴びて運動すること、仕事を休職してとにかく休むことなどが大体一般的な対処法になっている。病院に行けば確かに症状が良くなるのかもしれないが、薬を飲んだら自分の心の感じ方や敏感さが変わり、それに伴って文章を書くことやプレゼンなど表現の仕事の質が落ちてしまうのではないかという懸念があり、通院には踏み出せないでいる。精神的な辛さが自分のアイデンティティになっているのではないかという、妙な自負もある。
「死ぬまで生きる日記」という本を読んだ。筆者の方は自分と同じように死にたいとほぼ毎日思っていて何十年も苦しんでいる。精神科で処方された薬を飲むことに抵抗があって、オンラインのカウンセリングを受けることにしたそうだ。本にはカウンセリングで話した具体的なことがたくさん書いてあった。
症状や自分の辛い感情がほとんど筆者の方と同じで、会ったこともないけど感情が手に取るようにわかり、何度も涙を流しながら読んだ。死にたいと思っても別に良い、問題は解決しようと思わなければ問題ではなくなる、自分が求める形以外の愛情は愛情だと受け止められないなど、たくさんの心に刺さるフレーズがあった。
この本を読んだからといって死にたい気持ちがなくなったわけでもないし、筆者の方も死にたい気持ちがなくなったわけではないらしい。でも死にたい私のままでいいと思えるようになったと書いてあって、私も死にたいままの自分で別にいいのかもと思えるようになった。
一般的な対処法は特に心に刺さらないというか、実践したところで少し良くなるかもしれないが根本的な苦しみをなくすものではないと思う。筆者が実際に苦しみと向き合った「死ぬまで生きる日記」を読むことが、自分にとっては1番の薬になったように気がする。
きっと明日も死にたいと思うけど「死ぬまで生きる日記」を心に携えて、死にたい私のままで死ぬまで生きていこうと思う。