内観体験記(2001年9月・第1回目)
瞑想の森内観研修所
集中内観を体験して
内観をしてもう一人の自分が生まれた。もう一人の自分とは、相変わらずのマイナス思考をする自分の肩をポンとたたいて、「ほら、また内観前と同じ思考をしているよ」と冷静かつ客観的にアドバイスをしてくれる自分のことである。しかし、現れたり消えたりするため、非常に曖昧な存在と言えるが、自分の心癖がわかってその都度自分で気づくことができるため、有り難くも嬉しい存在である。
内観をした動機は家庭内の不和と私の病気であった。原因がわからない不調を抱えている上に、大学は1学年7千人在籍していると考えたときに、高校で1学年3百人程度から一気に規模が拡大したので漠然とした不安があったし、家に居るときもどこか身の置き所がないような気がしていた。ゆえに、少しでも将来の希望の光となるものが欲しかったのである。一週間、私なりに真剣に内観したつもりではあったのだが、初めて体験したということもあり、まだそれほど深まってはいない感じがした。というのも、迷惑をかけたことを思い出せるようになったのが、5日目のカウンセリング終了後くらいからであった。加えて、何か大きな重荷のようなものがとれて無くなった感じではなく、また全き幸福感に満たされていて「今死んでもいい」というような、深く安堵できる気持ちに到達したというわけではないからである。様々な問題を抱えていたため、今思い返せば一回の内観に多くを求め過ぎていた私であったが、やはり内観を進めるというのは、そう簡単にはいくものではないことを体験した。柳田先生が参考テープでおっしゃっていたように、淡々と丁寧に自分の過去を調べる他に道はないと感じた。しかし、途中で内観を止めて帰る、という選択肢は心理的・身体的に差し迫った事情があったため、私の中にそれは存在していなかった。内観をして少しでも希望の光を見い出し、原因不明の病気を少しでもよくしたい、という気持ちもあった。ところで、「本当の自分(自己)」というのは常に「自分(自分だと“思っている”自分)」から隠れ続けるため、引き続き内観しなければまた逆戻りしてしまうと思う私と、一週間の内観が終わってホッとして油断している私もいる。
一週間自分を見つめていく中で、多くの収穫があった。何と言っても母の揺るぎない愛情の一言を見つけたのが嬉しくてたまらなかった。何という言葉かは書くと壊れてしまいそうな感じもするが、「3歳までに既に一生分の親孝行をしてくれた」と私に伝えてくださったことがあることを発見したのである。特に小さい頃は、自分は何も出来ずお世話にしかなっていないのに、親孝行はもう十分にしてくれた、という母の愛情はまるで海のように深いと感じた。この言葉は、母が私を愛して育ててくださったことを証明していたので、私は嬉しくて仕方なかったのである。
また4日目の夜、「お前は以前に人を殺したことがあるか」という問いが突然心に降ってきて一瞬にして身が凍った。調べてみると錯覚だったのだが、小さいとき遊んでいた公園や原っぱの映像の中に、青いブルーシート・木材や土の山が脳裏に浮かんで、その下に誰かを埋めたことがあるか、という自分への質問だった。しかしこれはどうやら「善人でなければいけない」自分への過度な規律性と、他者への攻撃性を一切持っていてはいけない、という今までの道徳的規範から生み出された幻影だったようである。小学校5、6年生のときの嘘と盗みについて調べているときのことである。小さい頃から自分が死ぬことと、誰かを害してしまうのではないかと恐れを抱いていた私にとって、この恐れの正体がどこから来ているのかわからなかったので、淡々と調べていった結果、何が出てくるかわからない怖さがあって、作業としては非常に苦しいものであった。しかし真剣になって探したが、それらしい事実はどこにも見つからなかった。他人に嘘はつけても、自分だけは絶対に騙せないので、自分を知る作業というのは恐ろしいとも感じた。しかし、内観を終えてみると、得体の知れない恐怖を抱えたまま生きていくほうが余程大変な人生を送ることになっただろうと感じた。自分が迷惑をかけてきたことの中に、実際に人を土の下に埋めた事実はないことに気づいて、得体の知れない罪悪感から解き放たれて、とても清々しい気持ちだった。また、「道徳的に善人」であることに縛られていたのが、「元々悪い人間」であっても、自分は今母や父、妹、先生、友達にも見放されてもいなければ、捨てられてもいない事実を発見した。そのような自分であったにも拘わらず、愛情を注ぎ続けてくれて現在の私に至った経緯を思い出すことで、不思議な安心感に包まれた。参考テープでは柳田先生の「ゆめ」が大変参考になり、「そうか!叶わないくらい大きい夢を本気で追いかけるのが本当の夢なんだ。要は叶うか叶わないかが問題ではないのだ」と納得し、これから生きていくのが楽しみだと感じたことを覚えている。
内観を終えて帰ったところ、明るくなった、以前とはまるで別人になったようだと友人を通じて伝え聞いたりして、自分では大して変わっていない感じがしていたので大変嬉しかった。自分を知るという作業をした成果として、自分が変わるのだと思った。また、元々完璧主義であるため、完璧にできないと自分を過小評価する傾向があり、実際その傾向自体は現在もあまり変わらないのだが、「完璧というものはあり得ない」ということに気づいて、とても楽になった。完璧にやろうと思って一生懸命に取り組んだ内観でさえ、自分の思うように思い出せなかったり、何とか屏風の中や内観から逃れようとして何度お茶を汲みに行ったかわからないほどだった。況や、日常のことにおいてをや、と自分を苦しめている心の癖に気づいたのである。
起床と消灯のときに流れる懐かしい音楽で安心して眠ることができた。初日の夜は、就寝前の音楽が流れたとき、急に空高く家族3人の顔が浮かんだような気がして、20分程大泣きしてしまった。やはり仲良く暮らしたい、このまま別れ別れになるのだろうか、それとも元に戻るのだろうか、と天井を仰いだ。たまたま堪えきれずに一人涙していたところ、洗面所近くを通りかかった志津子先生が何も言わずニッコリしてくださったことが内観をする勇気をくださったように思う。研修所で丁寧に面接してくださり、内観に行き詰まったときにカウンセリングをしてくださった清水康弘所長とは、面接では毎日お会いしていたものの、直接お話ししたことはなかったので、どことなく身構えてしまっていたが、それは現在の父に対する自分の思いが投影されていただけであった。父に対して自分は上手く話すことができず、よい子の仮面をかぶり、嫌われないようにしてきた過程があった。しかし、実際は誰も自分のことを嫌ったり疎んだりしていないのに、自分で勝手にイメージを作り上げていたようである。また、内観中は特別な発見があったとき以外は自己との闘いであるから、ご飯とお風呂だけが楽しみとなっていたが、毎日3回美味しいご飯を作って運んでくださった奥様にも感謝申し上げたい。私と一緒に懸命に内観を続けられておられた方による無言の精神的後押しと、私が不安そうにしているとき、清水志津子先生が面接時に「ありがとうございました」と合掌して屏風を閉められる際、時折見せてくださった笑顔がなければ、無事一週間の内観を終えることはできなかったに違いない。家族にも周りの友達にも迷惑をかけてきた私が拝まれている、というのは不思議な感じがした。また、昔から閉所恐怖症なので、最初は家族と離れて、畳半畳に座りながら、入ってくる小さな初秋の虫さえ愛おしいと感じる程の一人で居ることの寂寞感を抱えていた。実際、一人ではなく、ずっと支えられて暮らしてきたのだが、問題を抱えていたので「自分は一人である」と錯覚していたことも寂しさを増大させてしまった一因ではあっただろう。しかし、一週間を終えてみると、3・4日目くらいまでのことが、ほんの少し前のことなのに、「そんなこともあったなあ」と遠い昔を懐かしむかの如く思い出されるのもまた不思議な感覚であった。自分自身を見つめる作業をひとまず終えると、広い畳の部屋に、一週間私を囲んでくれていた屏風と湯飲み、座布団だけが置いてあり、一週間前と同じ風景でありつつも、来たときよりもはっきりとものが見え、温もりを感じる一間に変わった感じがした。症状はなくならなくても、悩んでいたこと自体がどこか滑稽で、抱えていた寂寞感は、故郷に帰ったような郷愁となって、存在への不安は安堵感に変わった気がした。内観を始めたばかりで深く内観できたわけではないため、自然な素直さで居られるという感じではなく、どちらかと言うと他者とのコミュニケーションが以前よりもスムーズに出来るようになったといったほうが正確かもしれない。下を向いて歩きがちだったが、自然と自分の視線が上がって正面を見据えており、時折空を眺め季節の移り変わりにも気づくようになったことは、自分の中でものを観る視点が変わったということだろう。明るくなった、と言われたのも同様にして自分では気づいていなかった動作や仕草が変化したのだと思う。コミュニケーションには多分にぎこちなさが残っているように思ったが、忘れられていた過去の愛情の欠片を握りしめ、内観できる自信すらなかったのに、一週間きちんと座っていられた自分が少し誇らしいような感じさえした。
座談会での話も尽きなかったが、柳田先生のテープを長く拝聴していたことから、私は帰省してから柳田先生の口調で漫談を始め、家族の前でたっぷり2時間は喋ってしまった。冗談半分の漫談ではあったが、一週間の内観で体験したことで、語り尽くせないほど濃い内容が自分の中に残るのだと思った。自分で気づいたものだからこそ、その体験は自分の血肉になるのだと感じた。
2001年9月11日(火)記.当時の説明不足な箇所を補って編集した体験談.
以下『瞑想の森内観研修所に行く前、自宅で調べた内観の記録』
○小学校入学以前 母に対する自分について
【していただいたこと】
・タオルに包まれた僕を見ているような気がしました。笑顔で語りかけてくれた。(祖父母も一緒)
・幼稚園に行くときにいつも早起きして、のり弁やふりかけご飯、ミートボールの入ったお弁当をつくってくれた。
・幼稚園に行く初日に、行きたくないと泣き叫んでいた私を何とか幼稚園に行かせてくれた。
【してお返ししたこと】
(幼稚園の園庭の土で泥団子をつくってあげた)
【ご迷惑をおかけしたこと】
・クリーニング屋から戻ってきたばかりのお父さんの背広を部屋に床に散らかして迷惑をかけてしまった。しかし、その時叱られたので、家から出て、雨の中玄関の階段にずっと座り込んでいたため心配をかけた。母は本当に出ていくと思わなかった、と寂しそうな顔をしていた。
・人見知りのため、幼稚園になかなか馴染めなくて心配をかけた。
○7月10日 小学校低学年 母に対して
【してもらったこと】
・マイコプラズマ肺炎という病気になったとき、毎日病院に連れて行ってくれた。また、そのとき喉が痛くて何も食べられなかったので、何とかして食べさせてくれようと、好物のハンバーグを作ってくれた。
・私一人だけ、小学校にある足の膝裏を掛けて滑る滑り台が出来ずに困っていたら、母が学校に来て練習を手伝ってくれた。
・ピアノを習い始めてしばらく経ったので、お父さんにお願いしてピアノを買ってくださった。
【してお返ししたこと】
・学校のバザーの日、各クラスはお店を開くことになっていた。「くじらぐも」というお店を小学校1年生の私たちが開いていたところ、お母さんが来てくれたので手形を取ってあげた。(レモン汁に手をつけて紙に手形をつけ、ストーブの火であぶる炙り出しをやっていた)
【ご迷惑をおかけしたこと】
・学校に行きたくなくなってしまったとき、「もう少し。2年生はもうじき終わるから」と元気づけてくれたが、心配をかけた。
・母に用事があるときに、私は2階から足の踵でドンと畳を打って母を呼んでいた。母を母とも思わず、こき使っても何とも思わない自分がいた。
○7月12日小学校中学年 母に対して
【していただいたこと】
・私の友達が家に来たとき、いつもお菓子を出してくださった。笑顔で対応もしてくださった。
・虫取りをして泥だらけになった服を洗濯してくださった。
【してお返ししたこと】
・何も浮かびませんでした。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・具体的な事実がはっきりとは浮かびませんでした。すっぽり抜け落ちてしまっているようです。
○7月12日 小学校高学年 母に対して
【していただいたこと】
・友達が家に来たとき、いつも気を遣って、お菓子を出してくれたり、「また遊びに来てね」と私の友人関係を支えてくださった。
・夫婦間のことは子どもに言うまいと黙っていてくれた。私が大人の世界(仕事やお金など)のことで悩むことはなかった。
【してお返ししたこと】
・何も思いつきませんでした。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・この頃からファミコンをやる時間が長くなり、目の視力の心配をさせたり、お金や電気を消費させたりして迷惑をかけた。それでも何も言わずに私が気づくまで見守ってくれていた。
○7月13日 中学時代 母について
【していただいたこと】
・毎日お弁当をつくってくれた。ご飯には、ふりかけがかけてあったり、のり弁になっていたりとバラエティーに富んだものでした。
・学校の各行事を家事で忙しいのに来てくれた。
・制服のズボンや詰め襟をいつも畳んでタンスにかけてくれていた。
【してお返ししたこと】
・何もありませんでした。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・部活の先生に欠席連絡をするのは、ほとんど母が生徒手帳に書いてくれたからだった。しかし、家ではファミコンをやっていて、具合が悪いわけではないので食べるものはきちんと食べていた。このような調子で大丈夫なのかと母に心配させたと思った。
・部活の朝練があるときは、学校の近くまで車で送ってもらったことが多かった。それなのに、友人に顔を合わせたくない、母に送ってもらったところを見られたくない、と思っていた。朝早く起きて、私の弁当を作り、勉強が始まる前に体力を使う私を気遣ってくださった有り難みというものを全く理解しておりませんでした。
○7月14日 高校時代 母に対して
【していただいたこと】
・よく運動をしていたので、洗濯をいつもより多くしていただいた。
・合唱部だったので、イタリア歌曲を文化祭で歌ったとき、聴きに来てくださった。
・テスト勉強をしていたとき、「疲れるから時々休憩したほうがいいよ」とホットティーを出してくれた。
【してお返ししたこと】
・白髪を抜いてあげた。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・高校2年くらいから、クラス替え・各部活の仲間だけで固まる等の入学当初と異なる雰囲気になったこともあり、学校の友達と上手くいかず、いつも愚痴を母にこぼしていた。
・青年期となり、心の中をかきむしるような不安と闘いながらも、そこから救って欲しいという気持ちと甘えから、壁をなぐったり話しかけられても返事をしなかったりして母を相当困らせてしまった。
○7月15日 大学生活(現在) 母に対して
【していただいたこと】
・ピアノの月謝を毎月払ってくださいました。
・早起きして出発しなければいけないとき、その起床時間に声をかけてくださった。
・部屋のポトスとサボテンに水をやり忘れていたら、知らない時にあげてくださっていた。
・学問は人の幅を広げると、私が読みたい本があるときに、しばしばお金を出していただいた。
【してお返ししたこと】
・材料・食材を買ってきて、夕飯をつくってあげたことがあった。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・学校をやめるといって騒ぎ出した時、やめても辛いし働くのも無理な状態の私を何とかなだめようとしてくださった。しかし、その意見を聞こうともせず母を困らせてしまった。
○7月18日 小学校入学以前 父に対して
【していただいたこと】
・生後間もないとき、「いないいないバア」などをして遊んでくださいました。
・幼稚園の行事で「父の日」のときに来てくださいました。
・奥多摩に会社の旅行で行ったとき、長く曲がりくねった道を長時間運転してくださった。
【してお返ししたこと】
・父の日に父の顔を描いてあげました(幼稚園)。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・幼稚園の運動会で、父に肩車されたが、目線が高くて恐かったため、泣いてしまった。一緒にがんばろうと思ってくださっていた父を困らせてしまった。それどころか「男なら泣くな」と言った父に対して、男でも泣くことぐらいある、と恨みさえ抱いていた。申し訳なかった。
○7月19日 小学校低学年 父に対して
【していただいたこと】
・お風呂に入れてもらった。湯船の中にいる父の顔が浮かんできた。背中も洗ってもらった。近所の友達と私、妹を変わりばんこでバイクの前に乗せて遊んでくれた。
【してお返ししたこと】
・父の背中を流してあげた。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・小学校2年生のとき、自律神経の問題からか、震えが止まらなくなってしまった僕を抱いてくれた。その時はバタバタっと急いで駆けつけて、毛布で包んでくださったが、原因もわからないため父に心配をかけてしまった。
○7月22日 小学校中学年 父に対して
【していただいたこと】
・ハワイに連れて行ってくださいました。そこでの車の運転はすべて父がしてくださった。また、会社の社長のお知り合い、NーマンK重(個人名)さんという方のコンドミニアムの庭に付いている夜のプールで遊んでいるときにかまってくださった。
【してお返ししたこと】
・肩たたき券を作ってあげた。でも父は一度も使われたことはなかった。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・思い出せませんでした。
○7月23日 小学校高学年 父に対して
【していただいたこと】
・軽井沢に連れて行ってくれた。車で4時間はかかった。ペンション「★の子」というところでした。ハーブの匂いがして、山の中にある素敵な場所での思い出をありがとうございました。
・ネオジオというゲーム機を買ってもらった。全部で8万円もする高価過ぎるものだったにもかかわらず、小言一つ、何も一つ言わずにポンとプレゼントしてくださった。
【してお返ししたこと】
・思い出せませんでした。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・思い当たりませんでした。
○7月25日 中学時代 父に対して
【していただいたこと】
・受験勉強を力まずに出来るようにと、ファミコンカセットを買って、そっとメッセージを付けてくださいました。メッセージの内容は「あまり力まず、気楽にがんばれ 父より」でした。
・机とちゃぶ台で卓球台をつくって、一緒に遊んでくれた。
【してお返ししたこと】
・何もないように思われます。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・今のところ、はっきりと思い出せません。
○7月29日 高校時代 父に対して
【していただいたこと】
・海釣りに連れて行ってくれた。
・高校に合格したとき、一緒に喜んでくださった。
【してお返ししたこと】
・思い出せませんでした。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・家の中で私が常に不調を訴えていたため、毎日毎日心配させ困らせてしまった。
・この頃から人間関係がうまくいかなくなったため、愚痴を散々こぼしていた。そこに居合わせれば、嫌でも聞かされる方はたまったものではない、と感じた。
・私は何も悪いことをしていないと思っていたため、父が家に帰ってくるのが遅いことを一方的に責め続け、口をきかない日々が続いた。話かけてくださっていたのに、それも無視してしまったため、結果どうしたらよいか困らせてしまった。
○8月5日 大学入学から現在まで 父に対して
【していただいたこと】
・学校のテストを受ける前日に、私の眩暈がひどかった。現れては消える、という症状なので、どのように伝えてよいか困ったが、そのとき、家族で相談した結果、翌日父が学校まで付いてきてくださった。
・海釣りに行っては、いつも夕食に魚料理をご馳走してくれた。
【してお返ししたこと】
・キーマカレーを作ってあげた(夕食)。
・白菜のクリーム煮とにんにくのスープを作ってあげた。
【ご迷惑をおかけしたこと】
・学校に行きたくなくなったとき、私が北海道に行きたいと言ったら賛成してくれた。しかし、会社の人にはどうしたものかと色々相談していたという。心配をかけてしまった。
・打ち上げで飲み会に行って、帰りの電車がなくなってしまったとき、迎えにきてくれた。しかし、夜も遅かったので父の睡眠時間を削ってしまった。
感想 第1週(集中内観に行く前、自宅で実施した内観)
母について一週間内観をした。少し他人に対する許容範囲が広がったというか、考え方をしなやかにできるようになってきた気がした。しかし、そうは言っても、実際のところは殆ど変化していないに等しい状態だろうと思う。何も気づかなかった、という箇所が結構あり、実際思い出は沢山あるはずなのに、それが思い出せないからだと感じた。私は小学校入学以前のことは結構思い出せるのだが、小学校1・2年、5・6年、中学の記憶が殆ど抜け落ちているようである。私の物の見方が歪んできたのが多分、小学校5・6年くらいからではないかと思うが、その肝心な部分がはっきりしていない。無意識の束縛から早く解き放たれたいと思う。物事を批判的・悲観的に捉えているところがまだまだ多い。最近は少々無感動になってしまっている気がするので、もっと素直な自分でいられたら幸せだろうと思う。
(2001年の感想 研修所に伺う前、自分の部屋で内観をして感じたこと)
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