努力は必ず報われるというけれど~不妊治療~
自分なりの努力
現時点において、結果的に妊娠していないという事実はあるものの、自分なりに授かるための努力はしてきたつもりだ。
毎日葉酸サプリを飲むのは当たり前。
ついでに、鉄分とビタミンDのサプリも飲み始めた。
栄養バランスを考慮し、身体に良い献立や調理法を考えるようになった。
血流を良くするため、散歩を始めた。
基本シャワー浴だったが、湯船にゆっくり浸かるようになった。
一年中裸足で過ごしていたけど、あたたかい靴下とブランケットを使用するようになった。
飲み物はホットを選び、日中はヒートテックを着て、身体を冷やさないように気を付けるようになった。
「子どもが欲しいならこれくらい当たり前じゃん」と思われても仕方ないが、これまで自分の身体について無頓着で、全く労わってこなかった過去の私からすると、これでもかなり努力しているつもりだ。
(素足のまま短いスカートを履き、真冬でもスタバの冷たいフラペチーノを飲んでいたあの頃が懐かしく感じる…)
不妊治療における努力と結果
これまでの人生では、
「努力は必ず報われる」
「結果だけではなく、頑張った過程が大事」
だと教わってきた。
それは確かにその通りで、勉強やスポーツは正しい努力をすればそれなりの結果がついてきたし、仕事でも評価されてきたと感じる。
たとえ結果が伴わなかった場合でも、それまでの過程を見守り、評価してくれる人がいたから頑張って続けられたこともある。
勉強・仕事・部活動は、必ずしも結果が全てではなかった。
しかし不妊治療では「妊娠できた」「子どもが生まれた」という結果が全てで、妊娠できなかった場合、それまでの努力を誰かが評価してくれるわけでもなく、傍から見ればただ「子どもがいない人」。
不妊治療をしたけれど授かることができず、子どもを持たない選択をした。
あるいは里親になることにした。
そういった選択に至るまでには夫婦にしか分からない葛藤や紆余曲折があり、苦渋の決断だったとしても、周囲の人からすれば「自分たちの子どもができなかった人」という結果であることには変わりないじゃないか。
こんな感情を抱いてしまう自分が虚しい。
こんな風に考えてしまうのは、そうなってしまうかもしれない、未来の自分を見てしまったからかもしれない。
努力は報われないのかもしれない
治療を続けていると、毎月思うような結果が出ず、これまでの努力を否定しなければならないことに、時々虚しさを覚える。
あっという間に過ぎ去った時間の速さ、刻々と年齢を重ねてしまう焦り、周囲からの期待、自分の身体は不良品かもしれない、子どもを授かれないかもしれないという不安感。
大した努力もせず、たった1回のタイミングで妊娠できた人と自分を比べては落ち込み、どうして自分は上手くいかないの?と自分を責め、色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、お風呂で大泣きした日もある。
このまま治療を続ければ授かるかもしれないし、結局授かれない可能性もある。
お金と時間をかけてどれだけ努力しても妊娠できない人がいる。その中に私も含まれるのだろうか。だけどそれは誰にも分からない。
あぁ、努力しても報われないことがあるのかもしれないと、この歳になってようやく気付かされてしまった。
どの部分を結果として捉えるか
高校受験の日、当時通っていた塾の先生からもらった手紙。
私はその手紙を今でも大切に持っている。
今は、先生がくれたこの言葉を大切にしたいと思っている。
不妊治療中の身だから、どの部分を結果として捉えられるのかはまだ分からない。
子どもを授かるという希望もまだ捨てたくはない。
数十年後の自分が後悔しないよう、今は小さな努力を続けていきたい。
読んでくれてありがとうございます。