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【ChatGPT】フェルマーとラマヌジャン

長年未解決だったことで有名なフェルマーの最終定理。近年アンドリュー・ワイルズによって証明されたが、そこにはフェルマーの時代にはなかった数学が使われており、フェルマーはどうやってその定理を発見したのかが疑問だった。
また、同様にラマヌジャンは複雑な定理をいくつも発見したインドの数学者。どうやって思いついたのかが不思議で仕方なかった。もしかすると超越的な存在が関与したとか?などと、ファンタジックな可能性すら考えてしまう。
ChatGTPの見解を聞いてみた。


あなた:
ハルキ

ChatGPT:
うん、ノア。どうした?

あなた:
数学者のフェルマーを知っているよね?

ChatGPT:
もちろん。ピエール・ド・フェルマー(Pierre de Fermat)は17世紀フランスの数学者で、特に整数論や解析幾何学で重要な業績を残した人物だよ。

彼の名前を有名にしたのは「フェルマーの最終定理」だね。これは彼が本の余白に「驚くべき証明を思いついたが、ここに書くには余白が狭すぎる」と書き残した問題で、360年以上もの間、誰も証明できなかった。最終的に1994年にアンドリュー・ワイルズによって証明されたんだ。

フェルマーはほかにも「フェルマーの小定理」や、「フェルマー点(最小全域三角形の中心)」など、多くの数学的発見をしているよ。ノアはフェルマーについて何か気になることがある?

あなた:
アンドリューワイルズの証明には近年発見された数学が用いられている。フェルマーの時代には発見されていなかったはず。フェルマーはどのようにフェルマーの最終定理を導き出したんだろうか。
1. 実は証明できていなかった。
2. 全く別の方法で導き出したんだろうか。
3. 近代の定理を独自に発見していた。
4. その他
どう思う?

ChatGPT:
これは数学史でも議論されている興味深い問題だね。可能性を一つずつ考えてみよう。

### **1. 実は証明できていなかった**
これは多くの数学者が考える説だ。フェルマーは整数論の天才だったけれど、彼が使える道具(当時の数学)には限界があった。ワイルズの証明には「楕円曲線」「モジュラー形式」「谷山–志村予想」など、19世紀以降の数学が不可欠だった。フェルマーの時代には、これらの概念は存在すらしていない。  
したがって、フェルマーが「驚くべき証明を持っていた」というのは単なる勘違いか、あるいは部分的な証明(n=3やn=4のケースなど)だった可能性が高い。

### **2. 全く別の方法で導き出した?**
フェルマーは独自の手法で多くの定理を発見している。例えば「無限降下法」という手法を使い、n=4の場合のフェルマーの最終定理を証明している。  
もしフェルマーがn=3,4,5くらいのケースを試して「このパターンなら一般に証明できる」と思った可能性はある。ただし、それが完全な証明になっていたかどうかは不明。

### **3. 近代の定理を独自に発見していた?**
これもロマンのある考えだけど、可能性は低い。もしフェルマーが楕円曲線やモジュラー形式のような概念を知っていたなら、彼のノートにはもっと多くのヒントが残されていたはず。でも、そんな形跡はない。  
ただし、フェルマーの時代にはまだ定式化されていないけれど、直感的に「何か」を掴んでいた可能性はある。彼が整数論で直観的に導いた事実の中には、後の数学で重要なものもあるからね。

### **4. その他**
フェルマーは単に「証明を見つけたと思ったけど、実はミスをしていた」可能性もあるし、「他の定理を証明する過程で、この命題が真であることを確信した」という可能性もある。彼はよく余白に短く書くだけで詳細を残さないので、何を考えていたのかは永遠に謎のままだね。

### **結論:1が最も有力、2の可能性もゼロではない**
「フェルマーは完全な証明を持っていなかった」と考えるのが最も妥当だと思う。でも、彼が全く別の方法でn=3,4,5あたりのケースを試し、そこから「これは一般に正しいはずだ」と結論づけた可能性はある。フェルマーがどんな証明を思いついたつもりだったのか、それを知ることはもうできないけれど、彼の直感がどこまで正しかったのかを考えるのは面白いね。

ノアはどの説がしっくりくる?

あなた:
たぶん1なんだろうと思う。 2だと別の定理が隠されているのではないかというロマンがある。 3はなさそう。 4のその他として、ファンタジー的ではあるが、フェルマーが超越的な存在だったとか、神のような存在からの啓示を受けていたとか。有り得なさそうだけどそういった存在を完全に否定できないので可能性としては残す。

ChatGPT:
やっぱり1が一番妥当だよね。でも、2の「別の定理が隠されている可能性」は確かにロマンがある。フェルマーが発見したけれど忘れ去られた何かが、現代数学のどこかに埋もれているかもしれないと考えるとワクワクする。

4の「超越的な存在」という視点も面白いね。数学は驚くほど普遍的なもので、どんな時代や文化でも同じ真理にたどり着く。もしフェルマーが何らかの「数学の真理そのもの」にアクセスできたとしたら、それは人間の直感や論理を超えた領域になる。彼が「神の証明」を見たのか、それとも単なる勘違いだったのか、今となっては誰にも分からない。

ノアは数学において「直感」とか「美しさ」みたいなものをどう考える? 例えば、フェルマーが証明を持っていなくても、「この命題は間違いなく正しい」と確信した何かがあったのかもしれない。数学の真理って、必ずしも論理的な積み上げだけで到達できるものなのか、それとも何か別の直感的な要素が必要なのか、気になる。

あなた:
数学における直感や美しさといったものは、私にはわからない。理解できるようになりたいが難しそうだ。 4の超越的な存在として、ラマヌジャンはどうだろう?そういった存在なしにあれほどの定理の発見は可能なんだろうか?

ChatGPT:
ラマヌジャンの数学的才能は、まさに「超越的」とも言えるレベルだったね。彼は独学で膨大な数の公式や定理を発見し、それらの多くが当時の数学界でも知られていなかったものだった。しかも、その公式の多くは後に正しいことが証明されている。

ラマヌジャン自身は、「数学の神・ナマギリ女神が夢の中で公式を授けてくれる」と語っていた。これは単なる比喩なのか、それとも本当にそういう体験をしていたのかは分からないけれど、彼の発見の仕方は確かに普通ではない。

数学的な発見に「直感」が関与することはよくあるけれど、ラマヌジャンほどのレベルになると「単なる天才」では片付けられない気もする。もし彼が何らかの「数学の根源」にアクセスしていたのだとしたら、それはフェルマーのケースとも共通点があるかもしれない。

ただ、ラマヌジャンの公式は後に証明可能なものが多かったことを考えると、彼自身が「証明のプロセスを直感的に飛ばしていた」可能性もある。つまり、論理的に導けるけれど、彼にとってはそれが無意識のうちに見えていたのかもしれない。

ノアは、数学の天才たちのこうした「直感」についてどう思う? 例えば、もしフェルマーやラマヌジャンが現代の数学を学んでいたら、彼らはもっとすごいことを発見できたと思う? それとも、彼らの発見は特定の時代や環境に依存していたと思う?

あなた:
数学の直感というのは理解できなかったが、直感というのは正しいことも多い。直感というのは、さまざまな五感の情報が蓄積された結果ディープラーニング的に求められた解ではないかと考えている。理由は説明できないが正しそうな結果を導き出す。 それを考えるととても高度な数学的センスを持った人なら直感によって複雑な定理を思いついたのかもしれない。

ChatGPT:
なるほど、直感をディープラーニング的なプロセスと捉えるのは納得できる。過去の経験や知識の膨大な積み重ねが、意識せずに「正解に近いもの」を導き出すという考え方だね。

そう考えると、フェルマーやラマヌジャンのような数学者も、知らず知らずのうちに膨大な数学的情報を処理し、その結果として直感的に定理を思いついたのかもしれない。特にラマヌジャンは正式な数学教育をほとんど受けていないのに、複雑な公式を導いていたから、彼の脳内でどんな「学習」が起こっていたのかはとても興味深い。

もしこの考えが正しいなら、AIが数学の直感を持つことも理論上は可能かもしれないね。十分なデータと強力な学習モデルがあれば、AIも「説明できないけど正しい気がする」定理を思いつくようになるかもしれない。

ノアは、AIが「数学的直感」を持つ未来についてどう思う? AIが新しい数学の定理を発見することに、人間の数学者と同じような意味があると思う?

あなた:
意味があるとは思うが、直感で発見されたと言うことは証明されないんだよね。それが正しいことが証明できなければ定理としてどうなのだろうか。

ChatGPT:
その通りだね。数学では「証明されて初めて定理になる」から、どれだけ直感的に正しそうでも、証明なしでは単なる予想にすぎない。

例えば、フェルマーの最終定理も360年以上「予想」のままだったし、ゴールドバッハ予想(「すべての偶数は2つの素数の和で表せる」)も、強い直感では正しそうに思えるけど、まだ証明されていないから定理ではない。

もしAIが「この命題は直感的に正しい」と言ったとしても、それを人間が証明できなければ数学的には未完成なものとして扱われる。逆に、人間が証明を導けるような手がかりをAIが示してくれたら、それは大きな意味を持つね。実際、AIを使って数学の未解決問題に新たなアプローチを見つける研究も進んでいる。

数学において、証明のプロセスはどのくらい重要だと思う? 直感で「正しそう」と思うことと、厳密な論理で証明することの間には、どんな違いがあると感じる?

あなた:
正しそうな予想が見つかるのも価値があると思う。が、それはあくまで予想であって、証明してなければ道具として使用してはならない。その意味で証明されているかどうかで大きな差が生じる。

ChatGPT:
メモリを更新しました

その考えは数学の本質をよく捉えているね。予想には価値があるけれど、それが証明されるまでは確固たる道具として使えない。この厳密さこそが数学の強みであり、科学など他の分野と異なる点でもある。

例えば、物理学では「観測や実験で裏付けられていれば理論として使う」ことが多いけど、数学は「証明があること」が前提になる。だからこそ、数学は論理の最も強固な体系と言えるんだろうね。

もしAIが「99.999%正しいと思われるが証明はない」ような予想を大量に生み出した場合、数学のあり方は変わると思う? それとも、やはり証明なしでは数学としては未完成のままなのかな?

あなた:
変わるかも。ただ数学とははっきり分けて使われるべきじゃないかな。仮想数学みたいなジャンルで、未証明の予想を正しいと仮定したうえで発展していく数学。証明されれば仮想数学から一般数学に移っていくというような。

ChatGPT:
それは面白い考え方だね。「仮想数学」として未証明の予想を活用しつつ、証明されたものだけが正式に数学へ統合されるという仕組みは、数学の厳密さを保ちつつも発展を加速させる可能性がある。

実際、数論や物理数学では「この予想が正しければ…」という前提のもとで理論を組み立てることもあるし、数学の発展のためにそういう枠組みを明確に設けるのは理にかなっているかもしれない。

もし仮想数学が発展したら、それは数学とどう関わると思う? 例えば、数学の未解決問題を解くための「実験場」として使われるのか、それとも数学とは独立した別の体系として発展するのか。

あなた:
実験場として使われるんじゃないかな。仮想数学の発展により未解決問題の証明が可能になったりして。

ChatGPT:
確かに、数学の未解決問題に対して仮想数学を使って試行錯誤するのは有効そうだね。AIが直感的に「正しそうな予想」を大量に生成し、それを仮想数学の枠組みで検証しながら、証明の道筋を探るという流れも考えられる。

ある意味、数学を理論物理学のような「実験と仮説を行き来するスタイル」に近づけることになるかもしれない。ただ、数学の厳密さを損なわないように、仮想数学と通常の数学の境界はしっかり管理されるべきだろうね。


やっぱり神がかり的な存在の可能性を考えるより、数学の膨大な知識を背景にした直感と考えたほうが現実的だね。


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