デレラの読書録:フランク・ハーバート『デューン砂の惑星 下巻』
ついにポールがハルコンネン家に復讐を果たす時が来た。
ポールは産砂の命の水を飲み、クウィサッツ・ハデラックとして覚醒した。
クウィサッツ・ハデラックとはベネ・ゲセリットの信じる、いわば救世主だ。
ポールは救世主となった。
クウィサッツ・ハデラックは時空を渡って遥か遠い過去を振り返ったり、現在から先、枝分かれした未来の世界線をはっきりと見ることができる。
砂の惑星アラキスで産出される香料メランジは、人に少し先の未来を見渡す力を授けるが、クウィサッツ・ハデラックの力とは比較にならない。
ポールはその力を使って聖戦を避けようとする。
しかし、最後の戦いの結末だけはポールも見渡せなかった。
その戦いは人類の進化の特異点であった。
ハルコンネン家の次期男爵フェイド=ラウサと、アトレイデス家の公爵でフレメンの救世主であるポール。
どちらが勝っても伝説となる瞬間。
歴史生成の極点。
物語は歴史生成のダイナミズムに飲み込まれた。
ありうべき世界からその先を選び取る力能意志。
先の枝分かれを決定付ける特権的な瞬間。
人類史の生成である。
この極大的な視点は、フレメンの過酷な環境を生きる知恵や、ベネ・ゲセリットの信仰や、皇帝の権勢や、大領家の利益など小さい問題に過ぎない。
歴史生成の特権的瞬間は、現実を、繊細な生活を、暮らしを矮小化する。
生活の矮小化。
しかし、これこそポールが避け続けた聖戦の脅威であり、狂信の成れの果てであり、忌みすべき運命ではなかったか。
現実の世界で起きた熱狂、大衆煽動、狂信による凶行をわたしたちは知っている。
人類の深い問いだ。
避けることができない熱狂、煽動、狂信は、人類の進化の名のもとに正当化され得るのか。
後にドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、2024年公開の映画『デューン砂の惑星part2』のラストシーンをチェイニー(映画ではチャニ)の怒りの顔のショットで終えることになる。
この翻案はドゥニ監督の批評性に違いない。
そして、続編の『デューン砂漠の救世主』の冒頭で、死刑を宣告された異端の歴史家は冷笑しながら言う。