デレラの読書録:雨宮昭一『占領と改革』(シリーズ日本近現代史第七巻)
敗戦後の連合国による占領と改革。
戦中と戦後の切断線を丁寧に読み解く本書。
戦前・戦中の日本は全くダメで、GHQの占領と改革で日本は良くなった、という素朴で単純なイメージを解体する。
あの頃、何が起きていたのか。
戦後改革について考える時に見過ごしがちな問いに著者は注意を促す。
その問いとは、GHQがいなくても進んだ改革があるのではないか、それは当然元々あった利害関係や集団が進めるはずだ、という問いである。
日本に元々あった四つの政治潮流の衝突、GHQと世界の情勢変化の影響下で改革は進んだのだ。
日本にあった四つの政治潮流とは、国防国家派、社会国民主義派、自由主義派、反動派の四つである。
国防国家派は、軍需産業を強行して工業化を進める考え方で、戦争を先導の中心である。
社会国民主義派は、労働組合運動、農民運動などの社会運動で社会の平等化を目指すグループだ。
自由主義派は、産業合理化や財政整理、軍縮を目指し、経済中心のグループ。
最後の反動派は、皇道派や観念右翼、地主などで、各政策で既得権を失った集団である。
前者二つは戦争を推進した。
なんだかんだで総力戦体制は労働者の地位向上など社会国民主義派と方向を同じくしていた。
一方で、後者二つは戦争によって不利益を被っていた。
戦争優先の経済体制は、自由主義経済と既得権にとっては不利だった。
敗戦は、戦況もあるが、前者二つが分裂し、後者の勢いが増したことによって決定的になった。
敗戦後は、前者が協同主義、後者が自由主義として対立していく。
協同主義と自由主義の対立とは何か。
ようは、社会福祉的な所得再分配か、減税による経済優先かの、現在にも通じる対立である。
さて、この大きな2軸が、GHQ(アメリカ)の利害と、冷戦構造化する世界情勢と連動しながら、(勝戦国から押し付けられた面もあるが)日本の改革は進められていく。
戦中と戦後の切断線はすでに戦中で準備されていた。
というか、国内の政治的な潮流のパワーバランスが占領と改革の時期に変動していた。
よくよく考えてみれば当然のことだろう。
基礎のないところに、GHQが上から押しつけたところで、受け取ることはできないからだ。
受け皿はすでに存在していた。
そう考えると、現在の状態もまた、パワーバランスのなかで何かが目立ち、何かが背景に退いているにすぎない。
しかしその結果が明らかになるのは、時が経つのを待たなければならないだろう。
歴史を学ぶ意義がそこにあるように思う。