非一般的読解試論 第十五回「感想空間で踊ろう」
こんにちは、デレラです。
非一般的読解試論の第十五回をお送りします。
非一般的読解試論は、いろんな文芸作品(映画・本・アニメなど)について感想文を書いたり、そもそも「感想」とは何だろうか、と考えるために始めた、わたしのライフワークです。
いろんな作品について感想文を書きたいですし、また、その時々の「感想とは何か」という考えを更新したりするために連載という体裁を取っています。
連載とは言え、各回は独立しておりますので、ぜひ目の止まったところから読んでいただければ幸甚でございます。
さて、前置きが長くなりました。
今回は、何かを見たり、聞いたり、体験したときに感じる「言葉にしづらさ」について考えてみたいと思います。
何かを体験したのだけれど、それが「言葉にしづらい」ということ。
感想を言いたいのだけれど、なかなか言葉にならない。
あなたにも、そういう経験はありませんか?
少し抽象的ですね、具体例を出しましょう。
変なものを見たとき。
たとえば、胴体は、お笑い芸人のロバートの秋山さんなのに、腰から下が馬である生き物を見たとき。
(注 漫画アプリ「まんがRenta!」のCMを参照ください、なお、この記事は当該アプリの宣伝ではありません、わたしは漫画を紙で読む派です)
なんか変だ、これ。何だこれ。面白いんだけど、何が面白いのか分からない。
このレンタウロス(そういう名前だそうです)を初めてみたとき、わたしはそう感じました。
このように、「面白さ」を感じているが、それが何でなのか分からない。
「言葉にしづらさ」とは、そういう経験です。
これは「面白さ」に限った話ではありません。
何でこれが嫌いなのか分からない。
何でこれが好きなのか分からない。
何でこれが面白いのか分からない。
何でこれが悲しいのか分からない。
思春期かな?と、あなたは思うでしょうか?(笑)
思春期をとうに過ぎたわたしは、今でも、いろんなことに感じます。「何でなの?」と。
この「何でなの?」を集めてきて、棚に並べてみましょう。
左右の棚に、一つ一つ、大事に「言葉にしづらい、何か分からないもの」を並べます。
すると、何か分からないものが、たくさん並んだ空間が出来上がるでしょう。
そしたら、その空間をまるっとまとめて「感想空間」と名付けましょう。
そうすることで、わたしは、つぎのように問いを立てることができます。
「感想空間」とは何か。
今回は「感想空間」について、あなたと一緒に考えたいと思います。
では早速はじめましょう。よろしくお願いします。
1.生活空間は動いている
分からないモノを集めて作った空間、その名は感想空間。
では、この「感想空間」とは何か。
さて、変な問いを立ててしまいました。
分からないモノを集めた空間とは、どういう空間なのか。
分からねえ。
だから、まずは「分かること」から始めてみましょう。
分かるモノを集めて作った空間。
それを「生活空間」と呼びましょう。
見るもの全てがよく分かる。
たとえば、台所にあるアレ。
そう、これは蛇口である。
蛇口は反時計回りに回せば水が出る。
時計回りに回せば水が止まる。
蛇口はヘビじゃないし、回してもポンジュースは出てこない。普通ならね。
それが何であるか初見で分かる、理解できる。
一寸、分からないと感じても、触ってみたり、試行錯誤すれば、すぐに分かる。
「分からない」が「分かる」に置き換えられる。
目の前に二つの蛇口があっても、捻ってみたら、なぜそこに蛇口が二つあるのか、すぐに理解できる。
赤い方を回せばお湯が出て、青い方を回せば水が出る。
生活空間とは、そんな空間です。
分かるものばかりの空間。少し分からなくても、すぐに分かっちゃう空間。
図示してみましょう。
図1のように、わたしを中心に、「分かる」が広がっています。
赤い線で囲われた空間、これが「生活空間」でしょう。
では、この赤い線の外側が「分からないモノ」が集まる空間、つまり「感想空間」なのでしょうか?
どうやらそうではありません。
なぜなら、一寸分からないモノでも、少し触ってみたら分かるようになるからです。
つまり、赤い線は「動く」ということ。
分かれば広がり、忘れれば狭まる。次の図2みたいに。
このように、生活空間は、動いている。
2.脱臼と躓き
生活空間は動いている。
では、感想空間はどこにあるのか。
それを考えるために、ある映画について考えてみましょう。
あなたは『千と千尋の神隠し』という映画をご存知でしょうか?
言わずと知れた、2001年に公開された、宮崎アニメの最高峰ですね。
千尋、という名の少女が、ひょんなことから不思議な世界に迷い込んしまい、そこから帰還する物語です。
この映画の冒頭に興味深いシーンがあります。
少しあらすじを説明させてください。
千尋は、両親の運転する車で引越し先に向かっています。
その途中で、運転手である父親が道を間違えてしまい、引っ越し先の家の近くの森に迷い込んでしまいます。
そこで、千尋と両親は、不思議な建物を見つけます。
千尋はその建物を怖がりますが、両親は新天地に興味津々。
建物はどうやら門?のような形状で、両親はズンズンと中に入って行ってしまいます。
千尋も仕方なく後についていき、建物の中に入ると、それは駅?のような建物だと分かります。
父親はその建物を触って「モルタル製か、比較的に新しい建物だ」と言います。
駅のような建物は通り抜けることができるようでした。
建物の外には草原が広がっていました。
両親は草原をズンズン進んでいきます。千尋は仕方なくついていきます。
すると突然、先ほどの建物から「グォー」と大きな音が鳴ります。
それを聞いた千尋は「建物が怒っている」と言います。
しかし母親は、「あれは風鳴りよ」と答えます。
さて、このシーンを観てどう考えたら良いでしょうか?
父親は建物を「モルタル製」だと言い、千尋は「怖い」と言います。
母親は音を「風鳴り」だと言い、千尋は「建物が怒っている」と言います。
つまり、両親は建物が何であるか「分かっている」が、千尋は「分からない」でいる。
言い換えれば、一方で両親は、建物と風鳴りを生活空間で捉えているが、しかしながら、他方で千尋は、それを生活空間で捉えることができていない。
千尋は、上手く捉えることができず、躓いてしまっている。
目の前の建物が何かわからず、音の原因も何か分からない。
その分からなさが「恐怖」や「怒り」として感じられ、そのまま表現する。
分からなさによって生活空間に亀裂が入り、千尋の目の前に「分からない空間」が広がる。
さて、わたしたちは「感想空間」とは何かということを考えているのでした。
「感想空間」とは、「生活空間」とは違う、「何か分からないもの」が集まった空間でした。
では、このとき、千尋の目の前には「感想空間」が広がっていると言えるのではないでしょうか。
千尋は、建物が何か分からないでいる。分からなさを上手く表現できていない。
表現に躓いてしまっている。
このように、表現に躓き、生活空間に亀裂が入ったとき、「感想空間」の扉が開くのではないか。
3.迷子
表現の躓きが、生活空間に亀裂を入れる。
何か分からないもの、その「言葉にしづらさ」が、生活空間を脱臼させる。
そのとき、初めて感想空間の扉が開く。
でも、生活空間が脱臼するって、具体的にはどういうことなのでしょうか。
もう少し考えてみましょう。
生活空間は習慣によって形成されます。
どういうことか、例を出しましょう。
わたしは去年引っ越しをしました。
引っ越しをすると、これまでの生活圏が変わります。
行くスーパーが変わったり、使う駅が変わったり。
わたしは駅は変わりませんでしたが、駅から自宅までの帰路は様変わりしました。
引っ越し当初は、違和感だらけで、何やら不安感がずっと後頭部あたりに引っ付いている感じがしました。
でも、日が経つと、徐々に慣れていきます。わたしは、すっかり今の家の周りを生活空間に置き換えることができました。
このように、日々の生活習慣によって、生活空間は形成されます。
では、その生活空間が脱臼するとはどういうことか。
新居での生活には慣れてきましたが、ときどき「言葉にしづらい出来事」が起きます。
ある日の夜、窓の外がチカチカ光りだして、急にズンズンと音楽が流れ始めました。
何事か!!と思い、慌てて窓を開けて外を見てみると、チカチカ光るネオンを手に持ちながら、ポータブルスピーカー?で音楽を流しながら歩くおじさん?がいたのでした。
誰?何?何してんの?何でよ?
わたしは急に分からなくなりました。
こうして、わたしの生活空間に亀裂が入るのです。
あなたはそういう経験ありませんか? 生活空間で変なことが起きること。
このように、生活空間に亀裂が入るのは、思いもよらない出来事が起きるとき。
それは、言い換えれば、わたしがいる「この世界」と、わたしとの関係が切れてしまうと言うことなのかもしれません。
わたしは、生活空間にいる限り、世界はわたしと密着しています。
つまり、すべてがわたしに関係している。
だから、思いもよらないことは起きません。
一方で、生活空間が脱臼するのは、世界が実は「わたしとは無関係に存在する」ということが露わになるときなのでしょう。
ネオンのおじさんは、わたしの生活とは「全く無関係な存在」です。面白いけどね。
このように、世界が、わたしに無関係に存在する。
それが露わになると、わたしは言葉に窮してしまう。
生活空間が脱臼して、自分がどこにいるか分からなくなる。
言ってしまえば、感想空間が広がると、生活空間との関係が切れて、わたしは迷子になってしまうのです。
4.ここは感想空間だ、ここで踊れ
生活空間に亀裂が入り、感想空間が現れると、何もかもが分からなくなり、わたしは迷子になってしまう。
最後に、このことについて考えてみましょう。
もし迷子になってしまったら、どうしたら良いのか。
あなたは、『ジョーカー』という映画をご存じでしょうか?
2019年に公開された映画です。
DCのヒーロー「バッドマン」の宿敵のひとり。狂気の化身、ジョーカー。
主演のホアキン・フェニックスさんの怪演が話題となり、アカデミー賞主演男優賞を受賞。
わたしはこの映画のダンスシーンがとても印象に残っています。
階段を降りながら踊るシーンが有名ですが、わたしが注目するのはもう一つのダンスシーン。
後にジョーカーと名乗る男アーサーが、初めて人を銃で殺害した直後、彼は銃を隠そうと、近くの公衆便所に入ります。
人を殺害したばかりの彼は、とても動揺し、息が切れ切れとなっている。
そこで、アーサーは何を思ったのか、踊りだしたのです。
その踊りは、自分の中に発生した「殺害後の感情」、処理しきれないほどの強烈な感情が、彼の身体を通して発散するかのように、立ち現れた踊りです。
このシーンは、主演ホアキンの提案で実現したそうです。
彼は、処理しきれないほどの、自分でどうしたら良いか「分からない感情」を、踊りで表現したのでした。
このシーンを見たわたしは、とても心が苦しくなりました。
その苦しさを、どう表現したら良いか。どうしたら、わたしの感じるこの苦しさが、あなたに伝わるでしょうか。
アーサーの身体を駆け巡った感情は、どのようなものなのか。
もちろん、わたしは人を殺害したことはありません。
だから、それが、どれほどの衝撃なのか、どれほど強烈な感情なのか、わたしにはまるっきり分かりません。
でも、ダンスのシーンを見ると、その感情がわたしに流れ込んでくる。
流れ込んできた感情を、わたしはどうしたら良いのか分からない。
わたしは、この踊りを見た感想を、どう表現したらよいか分からないのです。
わたしの生活空間には存在しない感情。
わたしの生活空間に亀裂が入る。
わたしの感想空間が開きだします。
踊り。
ジョーカー。
大道芸。
殺人。
狂気!
レンタウロスが笑う。
建物がグオーっと怒る。
これはなんだ。
様々なイメージ。
全てが脱臼していく。
丸い四角。四角い三角。
傾いていないピサの斜塔。
招かない招き猫。
メビウスの輪。
遠い青空。新芽の香り。
港、海の匂い。
様々な記憶。言葉にできない記憶。
ふと気がつくと、あたりが暗くなっている。
わたしは、PCの明かりに照らされている。
ここはどこだろう。
音が聞こえてくる。
これは、この音は何だろう。
時計を見る。深夜2時25分。
音が大きくなる。
窓を開ける。外は不思議と明るい。
音は外から聞こえている。
この音は、祭りばやしだ。
外で祭りが行われている。
わたしは、ニューバランスを履いて外にでる。
公園のある方角がほんのり明るい。
わたしは公園に向かう。
音が近くなる。
太鼓の音、何かが焼けた匂い。
松明が燃えている。
祭りばやし。
たくさんの人が輪になって踊っている。
盆踊りだ。
右手を腰において、左手を指先までまっすぐ伸ばす。
体を軸にくるっと二回、まわる。
両手をたたいて手を横に広げる。
右手をまっすぐ伸ばし、左手を顔の近くに持ってくる。
右手の先を中心にして、反時計回りに回る。
みんなが、それを一斉に繰り返す。
人がどんどん増えていく。
やぐらを中心に、踊りの輪が広がっていく。
やぐらには灯がともる。煌々と燃える。
やぐらの灯が、あなたの左頬を紫炎の色に染める。
わたしはそっと右手を伸ばし、あなたの左手を取る。
わたしは、あなたに言う。
ここは感想空間、もしよければ、一緒に踊ろう。
おわり