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デレラの読書録:金原ひとみ『持たざる者』


『持たざる者』
金原ひとみ,2015年,集英社

持たざる者は、自分とは違うものを持つ者に対してコンプレックスを感じる。

ではコンプレックスとは何か。

「彼女の存在自体がわたしの存在を否定していた。彼女が口にしなくても、彼女の在り方が私の在り方を否定し、「そんな人生楽しいの?」と常に問われているような気持ちにさせた。」

(p.231)

持たざる者のコンプレックスは、持つ者の存在によって自分の在り方自体を否定されている、と感じることである。

在り方の否定は、個人を徹底的に不安にさせる。

金原ひとみの小説の面白いところは、そのコンプレックスの構造をさらに反転させることだ。

つまり、それはほとんど妄想でもあるということ。

「人は、ストーリーを作ってしまう生き物だ。そして、その思い込みを糧に、憎しみや、愛情までをつねに捏造していく生き物だ。」

(p.85)

ようは、持たざる者のコンプレックスは、そのひとがストーリーとして捏造したもの(妄想)である、ということ。

この徹底的に冷めた視点の切れ味とは裏腹に、登場人物たちは人間的に魅力的に描かれていく。

コンプレックスを捏造した登場人物たちは、偏りを持ち、周囲と摩擦を生みながら、生きていく。

原発事故による放射能汚染を恐れて妻子を西へ逃そうとする男。

我が子を失いぽっかりと空いた穴を埋められない女。

何にも執着しない性格ゆえに根無草となり帰属感を得られない女。

自分の理想の家庭観以外を受け入れられず、それに少しでも反する現実に絶望を感じる女。

登場する四人の男女はそれぞれに自分勝手であり、他者に興味がない(有るようで無い)。

「人が大事にしている事が、私には馬鹿げた事に感じられる。私が大事にしている事が、人からは馬鹿げた事に見えている。私が真剣にする話ほど人は興味を持たず、私がするどうでも良い話に人は喜ぶ」

(p.135-136)

なぜこうも人に興味を持てないのだろうか。

わたし自身にもその問いが突きつけられる。

この小説の恐ろしいほど現実感のある生活描写、現実世界の再現性が、読者に問いを突きつける。

なぜ自分勝手なのか、なぜ自分の問題こそが一番重要な問題だと感じるのか、なぜ人に興味が持てないのか、なぜ人をレッテル貼りしてしまうのか。

わたしは突きつけられたこの問いに絶句する。

どういうことが。

読者であるわたしは登場人物に自己投影するからだ。

そうかわたしもまた持たざる者なのだ、わたしもコンプレックスを抱いているのだ、わたしにも喪失感があるのだ、わたしも判断基準を喪失してしまったのだ、わたしも世界を失ってしまったのだ、という「ストーリー」を捏造してしまう。

読者は、登場人物を媒介にして、ストーリー(妄想)を捏造する、ということ。

この事実に、わたしは恐怖する。

「何が良くて何が良くないのか、さっぱり分からないんだ」

(p.44)

この恐怖を簡潔に表現するならば「世界が信じられなくなる感じ(p.193)」だろう。

わたしは世界が分からなくなり、世界が信じられなくなった。

突きつけられた問いから逃げるようにして、またわたしは登場人物に感情移入し、自己投影して、さらには自己規定する。

わたしは「持たざる者なのだ」という自己規定。

この自己規定は、ある種の快楽であり、恍惚でもある。

まるで麻薬のような感覚だろう。

この感覚をナルシスティック・ペシミズムとでも呼ぼう。

世界から疎外されたと嘆くナルシストが、悲観的に自己を憂いて、恍惚としている、ということ。

しかしすぐに気がつき、思い出す。

「人はストーリーを作ってしまう生き物だ」。

金原ひとみの冷ややかな視線を感じる。

そして、ゾッとして、不安になって、登場人物に自己投影する。

ループが生じてしまう。

読者はこの小説の罠(ループ)から無事に戻れるだろうか。



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