デレラの読書録:金原ひとみ『ハイドラ』
カメラマンに抑圧されたモデル・早希がその抑圧のもとで、もがき苦しむ物語。
なぜ苦しいのか。
抗うようで抗っていない状態。
抗うことがもはや想定の範囲内で、抗うことすらできないからだ。
カメラマンは毒蛇(=ハイドラ)だった。
毒蛇の毒気に当てられて、思い込みと刷り込みの境目が溶けてしまった早希。
毒は拒食として顕在化する。
拒食。
食事から嚥下(=飲み込むこと)を奪われた早希の食事は、咀嚼と吐き出しだけが残されていた。
噛んで吐きだす。
嚥下(=飲み込むこと)が蛇の毒によって忘却してしまった食事。
それは、養分が得られない食事という儀式。
あるいは、食事から重要な要素が欠けてしまった不完全な儀式。
その描写は、気持ち悪さと、無意味さ、無機質さに満ちている。
噛むと唾液が出る、口内で食物と混ざる、口からそれを出す。
工場の生産ラインのように、淡々と咀嚼と吐き出しが繰り返される。
口内が傷ついても、それを繰り返す。
入れて出すという性交のメタファー。
物語の中盤、その毒気を全て晴らしてくれるような出会いがあった。
早希は一時的に嚥下を回復するが、しかし身体に回った毒は、簡単に抜けきらない。
毒蛇の住む巣に戻るとき、毒が全身に回りきって、彼女はついに力尽き、意志を失い、ひとつの球体関節人形となった。
小説の最後の段落、自分が球体関節人形となる瞬間、早紀はそれを理解している(あるいは、分かっている)。
意志を失い、球体関節人形となる。
それは堕落か、あるいは救いか。