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ひとつひとつ。(ここ半年の思考の変遷)

1週間に1度、人生についてしっかり考える時間をとってから、だんだんと前に進んでいる感覚がでてきた。
気づいたらもうすぐ夏。
2024年も半分が終わろうとしてる。ちょっと危機感。
今年の自分は大きく変わろうとしている。
休学前ラストイヤー。20代最初の年。
色んな表現の仕方がある今年だけど、節目の時期であり激動の時期であることに変わりはない。

変化にまみれて自分を見失わないように、等身大の自分を切り取って残すこの習慣は続けていきたいと思う。自己開示するのは恥ずかしいけれど、自分の思考は話して伝えるより読んでもらった方がわかりやすい気がする。
「話せば分かる」じゃなくて
「伝わらなきゃ分からない」だから。


ここ半年で何が変わっただろう。
一番に思いつくのは自分に対するマインドについて。
これは確実に言える。格段に強くなったと思う。

じゃあここ半年で何があったのか、
昨日、ちょうどFacebookに共有されていた、去年の12月22日の写真を発掘した。

目が死んでる.…

その中でもこの日は、後からだけど「あってよかった」と思える最悪な教訓日。
この日を迎えるまで自信満々で来たけど、この日を境に本当に自分のことが嫌いになって、何に対してもネガティブになる日。
人生初めて訪れた、投資家の方々と話す機会だった。
「君、何がやりたいの?」
そう聞かれて、間髪入れずに答えた。
「僕は世界中の人たちとアートで繋がりたいと思ってるんです!」

自分からしたらパッション入れてやったつもりだった。周りで「それいいね!!出資させてよ!!」なんて言葉が交わされる中、自分もなにかチャンスを掴めるかもしれないと思ったから、熱を入れたつもりだった。

でも、返ってきたのはスマホを見ながら
「フーン、頑張ってね」
の一言。結局途中で隣の学生の話に割り込みに行って、最後まで聞いてすらもらえなかった。

相手の態度に対してもあったけど、一番は自分に対して大きな嫌悪感を抱いた。なぜなら、そのプレゼンには何に対してメリットがあるのか分からなかったから。

要は、投資家はお金を賭けてる。
価値を投じているからこそ、
「このプロジェクトに賭けたら良さそう」と
思うものに対してならお金を出すだろう。
ただ、この良さそうというのは、「投資家自身」や「社会」に対してなわけであって、「単なる自分のやりたいこと語りに付き合っている暇はない」というのが実のところなんだろうなと気づいた。
だからここから、自分のやりたいことは誰かのメリットでなきゃいけないという考えに陥り、病み期に突入する。

その頃は何かプロジェクトを無理やり考えて、メリットに押し込めるような思考回路を持っていた気がする。だからこそ
本当にやりたいことってなんだ。
「自分が」幸せを感じるときはどんな時だろう。
果たしてそれはメリットとうまく結びつくのか?

ずっと悶々と考え過ごしていた。
そんな中、インドを挟み訪れたカンボジア。


孤児院を訪れた時、「やっぱり自分が関わっていて幸せを感じるのは現地の人や子どもたちだ」と再認識する。

この子どもたちや人たちのために何かしてみたい
そんな思いで活動を始めてみている。

ひとつひとつ試練やらスランプやら、何かあるたびに自分と向き合うことをやめなかったからこそ、見えることがあるんだと気づく。

人生、思い通りにいかないのが常な中で嫌になりそうになるけど、やりたいことができるという環境に対する感謝にも気づけるようになった。
やりたいことを追求して、大軸も使命も理念もビジョンも決まった今、自己肯定感はだんだんと上がってきて、大嫌いな頃のあの自分も好きになれた。人生の中で1番高いと思う。

ただ、最近は生活に拘束感を感じ始めた。大学は楽しいしやりたいことができているからいいけれど、バイトなどのために費やす時間に対して、もっと多くの時間をプロジェクトやるなら費やしていたい、と思ってしまうのが本音。

まあまだ休学できていないから、やれることや経済的余裕も限られている。
今後やりたいことを思う存分できるようにするために、今はひとつひとつ、できることを噛み締めるように楽しみたい。今は Take it easy ですね。


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