渇望こそ原動力。
1人になると、色々考える。
誰かに会う前、ワクワクしながら。
誰かと別れた後、寂しさに包まれながら。
人と会っている時も色々考えながら話すのに、1人でいる時も自分のことで悩みだす。
悩まないことなんてない。
独りよがりになりすぎてないかなぁ、とか
今決められることで休学期間中やれることなんだろうなぁ、とか
今やってることに価値を感じて協力してくれる人はいるのかなぁ、とか
どうやって人を巻き込もうかなぁ、とか
将来どうなるんだろうなぁ、とか
人って何考えてんだかわからないよなぁ、とか
唯一無二ってなんだろうなぁ、とか
ありきたりなものになってないかなぁ、とか
自分の『やりたい』を誰かの『やってみたい』にどう繋げられるかなぁ、とか
今度展示してもらえるかもしれない絵は何描こうかなぁ、とか
その時に載せる自分のWebサイトつくらなきゃなぁ、とか
なんだかんだ言って結局将来性って大事なんだろうなぁ、とか
自分を生きなきゃ人は愛せないけど、結局自分を生きるのはいつになるんだろうなぁ、とか
もっと心広い人間でありたいなぁ、とか
人としてどう見られてるんだろうなぁ、とか
幸せってなんだろうなぁ、とか
今幸せじゃない人には何が足りないんかなぁ、とか
表現で世界を繋げるって結局うわべだけになっちゃわないかなぁ、とか
いやそれでももっと繋がろうと思えるきっかけにはなるよなぁ、とか
今10分計って出したけど、まあいっぱいあるわけで。休む=サボると思う癖が直らない自分としてはもう考えるのやめるなんてムリだよ!ってなる。
まあそれは、まだまだ未完成のままだからなんだけどね。
渇望があり、成長があるんだと思う。
常に追い求めないと、結果なんて得られないんじゃないかと。
「若いうちは実績を積め」と言われるけれど、本当にそうで。
信用を得るための実績。
自信をつけるための実績。
確かにそれに縋り続けて中身のない人間には絶対になりたくないけれど、その必要性は確かにあるわけで。
じゃあ、どうするか。
まずは、
今できることを全力でやることなのかな。
そして焦らないこと。
確かにすごい人はいっぱいいる。
世界一周してたり
自分が今やろうとしているツアーをいくつもやってたり
賞を何個ももらってたり
資格をいっぱい持ってたり
プロジェクトいくつも成功させてたりとか、
「自分」を語る肩書きをたくさん持ってる人。
本当にすごいと思う。
でも、そんな人こそ一歩を大事にしてると思っていて。
例えばツアーひとつとっても丁寧に丁寧に時間をかけて顧客分析して自分と闘って、悩んで悩んで悩み抜いた末にできるわけであって。
まずははじめの一歩から。
ハードルを高くするのは少しずつでいいから。
少しずつ少しずつ、前に進む。
この前、初めてのイベントを主催して。
集客を目標にする、というよりは「これを自分の節目にする」という超自己中なイベント。
まだまだ踏み出せてるとは言えない状況。
でも、そんな中でも。
自分で作ったアートワークショップに、価値を感じてくれた人がいた。
「活動頑張ってください」と応援してくれた人がいた。
小さな活動の中に、やりがいを見出すことができた。それがなんだか嬉しくて、来年はどんな自分になってるだろうと思えた。そのおかげで、未来にワクワクできている。
だからこそ。
「忙しい」って言葉、使わないように。
有名な言葉かもしれないけどさ、「忙しい」って、「心」を「亡くす」って書くじゃん。
心をなくしてたら、なんだってうまく行かないさ。
脳死で考えない。
将来にワクワクしながら考えるんだ。
「これができたら、次何ができるだろう」って。
人生、目的がなきゃ何もできないから。
自分が満足できる生き方じゃなきゃ、生きるのもつまらないしね。
まだまだ足りない自分だからこそ
挑戦し続ける価値がある。
最後には報われると信じて。