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大切な今をりんりんと。

ホテルのWi-Fiが通じなくて、カフェにいる。
深夜だなんだろうがカフェが24時間開いているのがプノンペンのいいところ。深夜ともなると治安悪めの人がたくさんいるのが難点だけど。
そんな人とも仲良くなれちゃうのがカンボジアなわけで。
今、明らかにガラが悪い人からニッコニコでサムズアップをもらい、その隣で記事を書いています。もちろん、みんながみんなそうじゃないので目が合ったときはヒヤヒヤしたけど、何とか生きてこれています。

私が BUMP OF CHICKEN の中で群を抜いて好きな曲。
高校1年の冬に作曲した「DANNY」で音楽大会で関東大会まで出た時に業界人に「なんで英語なの?」「日本語じゃなきゃ嘘だ」と言われる。
世界に通用したいと思っていたものの、文法がぐちゃぐちゃなこの曲を指摘されたことに悔しさを感じたバンドリーダーの藤原さんが、新しい曲の歌詞を日本語で書き始める。
そうして1日に数行ずつ書き溜めて作った日本語でできたのがこの曲。

自分の生きている証拠として唄を歌う。
生き様を示すそのまっすぐな歌詞、誰の介入もない藤原さん自身の透き通ったその言葉の紡ぎ方が、私は好きだ。

私の生きざまもこの曲のようでありたいと思う。
人間の本質が心とか魂といった、スピリチュアル的なものの中にあるのだとするならば、自分の想いや思想を誰かに伝え続けることで人は本当の意味で生きていられるのかもしれない。

私自身も、誰かに忘れられるのが怖いのかもしれない。
自分がどこかで関わった誰かがその一生を終えるとき、その走馬灯に一瞬でもいいから出てきてほしい。
誰かに「面白いね」と言ってもらえることが嬉しいし、嫌われることをとてつもなく怖がる。そういう意味ではどこかで、人の表情を窺いながら生きているのかもしれない。

でもそんな中で、自分の芯にゆるぎない信念があること。
道半ばで迷いながらも少しずつ実現に向かって動けているということ。
楽しみでしょうがないこの先の未来。
失敗する可能性も正直0ではない、というかあるでしょう。
でも今の自分には、その失敗をも成功ではない道を見つけた一種の成功であるという思想が根付いてしまっているので怖くない。
というより、机上の空論でいくら計算しても無駄であって、一番の近道はやることなんだから。
そこに待っているのはトライ&エラーだけ。

私の行動軸が「世界中をMOSAICする」ということなのであれば
行動軌跡軸もちゃんとある。「表現を介し私(私達)の起こした行動によって、誰かの新しい行動を引き出せている」ということ。
似たものは何個と言わず、何千個としてあるだろう。何番煎じかわからない。でもその中生み出された「一つの個性」として、私は語りかけたい。

自分の心の声に従って生きていますか?

って。

それは強制でも教育でもなくて「気づく・気づかされる」こと。
自分で受け取ろうとした人に対して与えられる何か。
誰にもとらわれない、「誰にでもあるけれど、どこかで誰の手も届かない個性を持ち合わせている誰か」として生きていく私の生きざまの中で
「表現することの愉しさ」というものが誰かに伝わったうえで、その誰かが生きる上で新しい行動を起こすきっかけの1つになれたらいいな。
まあそれは、私の中の想いでしかないわけだけれど。
それをどう伝えるかは考えなくていい。
だって、私たちがやろうとしていることそれ自体が「アート」なのであって、内から外への表出なのであるから。
そこに「こう感じてほしい」と解釈の様式を求めるのは違う。

「私たちはこう生きる。じゃあ、アナタは?」というのが私が投げかける行動すべてひっくるめての「アート」を介するメッセージ。
これからも私は、表現者としてもメッセンジャーとしても、生きてる証拠をりんりんと歌い続けることとします。

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