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自信についての見解と学び

今まで生きてきて、これまでずっっと、「自信がない」という言葉を使ってきた。
あとは自信がなさそうにいつも見られる。
だからなめられやすいんだと思うけれど。
今回は自信についてマインドセットとして学んだことと思ったことがあるので記録する。

自信って主観的なものだと思う。
「私自信あるんよね」と言ってやったことが、他の人からしたら「そうでもないじゃん」って思われたりとか、
「私自信ないよ」と言ってても、他の人からしたら「超すごいこの人」って思われたりとか。
自分が持っている実力に対する想いと、その実力を見た上で相手がどう思うのかというのは全く違う。

だから「自信」という概念自体、自分の中の思い込みでしかないわけである。

その前提で考えた時、「自信がない」というのは、「自信を持ちたい」という心情の裏返しであるといえるのではないか。
弾いたこともないギターが弾けないことで自分が嫌になることはなくて、呼吸ができることで自信に満ち溢れることはなくて。
要は、明らかに自分ができないことと明らかに自分ができることに関しては「自信」どうこうの話ではなくなる。
「できるかできないかの瀬戸際」にこそ、自信の有無は生まれる、というわけ。

だからみんな、自信のあるなしに関することになると、人と比べるんだ。

「私自信ないです」
この言葉に含まれるのは
「〇〇さんと比べて」という文句。
誰と比べてんねん。
主観的なものだとするなら、コントロールができる。
自信ないならその人超えるまでやりゃええやん。
全くできないわけじゃないんだからやりゃええやん。
これからはそう自分に言い聞かせることにする。

よくあるのは「自信を失う」こと。
まあ風邪みたいなもんで、誰にもあるようにできている。
そもそも自信を失わないように予防しながら生きていくのなんてサラサラ無理な話なわけで。
これに関してはいかに早く回復するか、そのケアが大事。
人間はそもそも経験が成長につながっていくわけなので、活動総量が多い人ほど成長が多いのはいうまでもない。そんな中で自信をなくして病むことにより行動力が下がり、活動総量が下がることが非常にもったいない。なので私は病んでも歩き続けることにしている。
どんなに嫌なことがあってもインプットを絶やさない。前を向き続ける。その大切さはアイデアが浮かんだ時に毎回感じさせられる。

その反対に自信を得すぎると困るのが「過信」。
自分ができないところもすべてひっくるめて当たり前だとしてしまうと、周りが見えなくなる。
加減、難しいけれど意識しなくちゃですね。

できない自分、弱い自分、病んでるときの自分、全部ひっくるめたうえで
「自分はこういう人間なんだ。だからこういう人間として生きていく。」
そんな想いを持っていることこそ「自信がある」ことの現れであり、自分をいい方向に持っていく1つの方法なのかもしれない。

人は死んだら生き返ることはできない。
でも日々自分をアップデートすれば、何度も生まれ変わるように日々を生きていくことはできる。
そう生きようとするからこそ、毎日毎日積み重ねていく自己評価の点数は上がったり下がったり。
でも「そんなもんさ」と割り切ればいい。
そんなんに一喜一憂してる暇なんてないから。

自信を言い訳にしない。
なきゃつくまで努力。そんだけ。以上。
がんばります。

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