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千のナイフとサマー・ナーヴス

 中学生時代(1977〜1979)、未知の音楽と出会う場は、もっぱらFM雑誌(!)とレコード店だった。学校の友人たちと音楽の話をした記憶はあまりない。たぶん重度の中二病を患っていたせいで、「みんな」の聴く音楽にさほど興味がなかったのだと思う。ありがたいことに当時のわが家では月に一枚だけレコードを(小遣いとは別枠で)買うことが許されていたので、しょっちゅうレコード店に足を運んで「次は何を買おうか」と棚の商品を総ナメにする勢いで情報収集に努めていた。

 まったく予備知識なしでYMOの「Solid State Survivor」に手を出したのも、店頭での直観だったような気がする。帯にどんな惹句が書かれていたかは覚えていない。しかし小学生の頃からクラシックをよく聴いていたので(だから親も教育的な意味合いでレコードを買ってくれたのだろうと思うが)、「オーケストラ」を名乗りながら真っ赤な人民服姿で雀卓を囲んでいる人たちに、なにか放っておけない強烈なオーラを感じたのだった(幼少期から家族に麻雀を教え込まれていたので、親も文句は言わないだろうと思った)。

 三人の顔も名前もそこで初めて知ったわけだが、その音楽にハートをわしづかみにされた私は、おそらく翌月にはデビュー作に遡って「Yellow Magic Orchestra」を買い、さらに三人のソロアルバムにも順に手を伸ばした。そのうちの二枚が、坂本龍一のソロデビューアルバム「千のナイフ」と坂本龍一&カクトウギセッションの「サマー・ナーヴス」である。

 芸大出身で「教授」と呼ばれている──坂本龍一に関してはそんな情報ぐらいしか知らなかったけれど、中学生の私は、それだけで(それだけだからこそ)どこか別世界から現れた神秘的な存在のように感ぜられた。しかもそのジャケットの雰囲気の違いといったらどうだ。もちろん音楽的にもかなり違う。でも、どっちもすごくカッコイイ。何度も何度も、くり返し聴いた。振り返れば、「生まれたばかりのあたらしい音楽を自力で見つけ出して好きになる」という喜びを初めて味わわせてくれたのが、YMOと坂本龍一だったのかもしれない。どうもありがとうございました。

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 それにしても、いまは音楽にかぎらず、そういう偶然の出会い頭における直観的なチョイスがしにくい時代である。音楽であれ本であれ映画であれ、誰かのオススメor批判コメントつきのリンクを踏むという、バイアスのかかった誘導によって出会うことが多い。信用する人の推薦つきだから「打率」は上がるものの、そこに「おれのセンサーはどうよ」といったスリルはない。

 もっと問題なのは、多くの場合、SNSでは「ニュース」もそういう形で目の前に届けられることだろう。自分で感想や意見を持つ前に、あらかじめ誰かの賛否や見方を知ってから、そのニュースに接する。「特定の誰かのRT」というだけでも、バイアスとしては十分だ。朝刊を開いて「えっ」と驚き、「これは一体どう受け止めればよいのだろう」と考え込むことが昔は常だったが、いまはその機会が奪われている。それもあって、私は最近ツイッターやFBから距離を置くようになったのだった(まったく見ていないわけではないけれど)。

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