深川峻太郎
創業35年目の作文業者が、人生の大半を費やしていったい何をやっているのかを自問自答する試み。
書き上げた原稿を編集者に送る際、ちょっと前まで、私はしばしばこんな言葉でメールを締めくくっていた。 〈お目通しの上、よろしくご指導願います〉 完璧な原稿は存在しないという当然の前提に立ちつつ、遠慮なしにダメ出しするよう促している。じつに配慮の行き届いた物言いである。 …と、思っていたのだが、昨春から雑誌編集部員をやっているセガレに先日その話をしたら、ひどく怯えた顔をして「いやいや…それはやめてあげて」と言うではないか。妻にも「えっ、そんなこと書いてたの!?」と驚か
今年の誕生日、胸に「KANREKI 60」と書かれたエンゼルス風デザインの真っ赤なTシャツを与えられ、家族に無理やり(?)記念写真を撮られた後、こんなことを口にした。 「ずーっと、将来ボクは何になるんだろう…とボンヤリしているうちに、60年も生きてしまったような気がする」 するとセガレから、「いい話だなぁ」と、いささか意外な反応が返ってきた。何がどう「いい」のかは定かでないが、溜め息混じりの嘆き節が「まだまだこれからだぜ」的な元気ジジイの前向き発言に聞こえたのかもしれ
仕事が指示待ち状態なのでユルユルと過ごしている今日この頃だ。しかし指示内容が決まった瞬間にアクセル全開で走らなければならぬので、あまりボンヤリしてもいけない。こういうときに求められるのは「英気を養う」というやつであろう。 英気。この語だけ取り出すと、ちょっと新鮮な感じだ。日本国語大辞典によれば、(1)人並みすぐれた才気や気性。(2)活動しようとする気勢。元気──とのことだが、用例は古典ばかり。じっさい、「英気を養う」以外で日常的に見聞きすることはまずない。「最近あいつ、
なぜかふと気が向いて、前に読んだジョゼフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』(今西康子訳・白揚社)に手が伸びてパラパラめくっていたら、きのう書いたこととちょっと関係ありそうなところに鉛筆で線が引いてあった。 〈どんな社会規範のもとに生きている人間かということは、目で見てわかるものではない。そこで、自然選択によって利用されたのが、社会規範はたいてい方言、入れ墨のような識別可能な特徴とともに伝播するという事実だった〉 〈生後五〜六か月の乳児は、母親と同じアクセントの人のほ
今年の夏あたりから、ときどき妙な「展開」に遭遇するようになった。メールに添付した原稿や企画書などのファイルをほかの関係者に転送することを「〜に展開します」と表現する人たちがいるのである。 最初はひどく途惑った。「展開」と言われると、なんだか大袈裟だ。「いやいや、何をなさるおつもりかよくわかりませんが、そんな大層なことはなさらず、ふつうに転送していただければ」などとペコペコしたくなる。 スクラムやラックから出たボールを颯爽と右や左に「展開」するラグビーのスクラムハーフ
あれは七月頃だったか、読みたいニュース記事があって、めずらしく週刊新潮を買った。読みたかった記事は思ったほど面白くなかったが、パラパラとページをめくっていたら、五木寛之御大の連載エッセイが目に留まった。 「ああ、まだあるんだなぁ」 と、シミジミしつつ読み始めたら、これが面白い。エレベーターの開閉ボタンにまつわる話から始まる、およそどうでもいいボヤキ節だが、読ませる。さすがだ。ローティーンの頃に五木寛之のエッセイ集(角川文庫)をよく読んでいた私は、たいへん得した心持ちに
交通機関の優先席での振る舞い方が難しいお年頃である。 正直しんどいので、空いていれば座ることに躊躇いはない。車内を見渡しても、自分より年上と思しき人が見当たらないことも多くなった。だが、腰を下ろした後で、明らかに自分より年配の方がそのエリアに現れることもある。 先日も夫婦で座っていたら、そういう状況になった。キャリーケースをまごまごと転がしながら、老婦人が乗車してきたのだ。 「誰が譲るか問題」の勃発である。 両岸の優先席を埋めている8人のうち、4人は明らかに
ちょっと前にこちらで、業界内の言葉遣いが「ゴーストお願いできますか」から「ライティングお願いできますか」に変わってきたという話をしたばかりだが、先日、いよいよ自分のところにも見知らぬ若い編集者から「ブックライティングのご相談をしたい」とのメッセージが届いた。私の名が「編集協力」「構成」としてクレジットされた本を2冊読んでFBアカウントを見つけてくれたようで、それ自体はたいへん有り難き仕合わせである。 こないだ古いつきあいの編集者に「ブックライターとかブックライティングと
惜しくも亡くなってしまった原尞のお兄さんは、佐賀県の鳥栖で「コルトレーン・コルトレーン」というジャズ喫茶を営んでいるという。行ったことはない。写真の灰皿とマッチは、私がこの作家の大ファンであることを知る編集者が取材で店を訪れた際、お土産としてくれたものだ。それ以来、ずっと仕事場のオーディオ周辺に飾っている。 会ったこともない著名人の死にこんなに深い喪失感を抱いたことは過去にないかもしれない。たとえばチック・コリアの訃報もショックではあったけれど、ここまでの喪失感ではなか
このところ社会学とか宗教とか歴史とか戦争とか人文系の取材や原稿が重なっており、共通するキーワードが「近代」だったりするので、長く積ん読になっていた廣松渉関係の2タイトル(いずれも講談社学術文庫)がふと気になって手を伸ばしたら、むずかしいけど面白くって、立て続けに読了したのだった。「GWの読書」としては、なかなか高尚な感じでよろしい。ま、GWつっても、ぜんぜん休めないんだけどさ。ほんとは読んでないで書かないといかんです。 左の『〈近代の超克〉論 〜昭和思想史への一視角』は
本日はカウント・ベイシーの命日だそうだ。亡くなったのは1984年。私は大学2年になったばかりの頃だが、訃報に接した記憶がない。このレコードを買ったのがその前なのか後なのかも定かではないが、いずれにしろ当時すでに自分にとっては「古典」だったので、亡くなる前だったとしても、生きているとは思わずに聴いていたんじゃないかな。あと、その37年後に自分が相対性理論の本を書くとも思ってませんでした。 さて『E=mc^2』である。『アトミック・ベイシー』とか、単に『ベイシー』とか呼ばれ
古いカセットテープ群から「テーリヘン バトラコミュオ・マキアー」とだけ書かれた謎物件が見つかった。たぶん中学生時代の自分の字だが、暗号か呪文のようにしか思えず、いったい何を言っているのかさっぱりわからない。ネット検索にも難儀したが、ナカグロと音引きナシの「バトラコミュオマキア」と入れると、蛙鼠合戦というウィキペディアのページが出てくる。まあ、読んでみてちょ。「イリアス」のパロディらしいが、あらすじが笑えます。蛙国と鼠国の戦争をおさめるために蟹軍投入って、何やってんだゼウスは
仕事場で置き場所を失っていたカセットデッキを家に運び込んだ。結婚直後に買ったミニコンポの一部である。29年前までは、コンポにカセットデッキが含まれていたんだなぁ。いつ消えたんでしょうね。 まず家人がおそらく学生時代にレコード(2枚組)からダビングしたと思われるスティービー・ワンダーのグレイテスト・ヒッツを聴いてみた。ウン十年前のテープが問題なくふつうに再生されるのだから、カセットテープメーカーの技術力は驚くべきものだ。あと、A面が終わるとちゃんと自動的に反転してB面が再
ヤフオクでルドルフ・バルシャイ&ケルン放送交響楽団のショスタコービチ交響曲全集(11CD)をたった1000円(!)で落札したら、ブックレットに『レコード芸術』誌の記事がはさまっていた。安く落とさせてもらった上にこんなサービス(?)までついているとはありがたや。こんなことするぐらい好きなのに手放した人には、いったい何があったのかと思ってしまう。 5枚のうち4枚は、宇野功芳の連載コラム「志木折々」。4番を激賞している平成18年1月号には〈2006年1年間はこの全集を中心に書
道路工事の現場に近づくと、警備員が「歩行者通りまーす」と作業員たちに注意喚起することがある。べつにそれはそれでよいとは思うものの、なんというか、非人格化されたような気がして、あまり気持ちの良いものではない。「歩行者に聞こえているのはわかっているのに自分たちの会話は仲間うちにしか聞こえていないことにする」という擬似的閉鎖空間が形成されているので、歩行者は疎外感のようなものを味わうわけだ。このところ仕事で社会学方面のムズカシイ本ばかり読んでいるので言葉遣いがちょっとヘンかもしれ
中学生時代(1977〜1979)、未知の音楽と出会う場は、もっぱらFM雑誌(!)とレコード店だった。学校の友人たちと音楽の話をした記憶はあまりない。たぶん重度の中二病を患っていたせいで、「みんな」の聴く音楽にさほど興味がなかったのだと思う。ありがたいことに当時のわが家では月に一枚だけレコードを(小遣いとは別枠で)買うことが許されていたので、しょっちゅうレコード店に足を運んで「次は何を買おうか」と棚の商品を総ナメにする勢いで情報収集に努めていた。 まったく予備知識なしでY