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映画・ドラマ

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#映画

ジョナサン・グレイザー『関心領域』

ジョナサン・グレイザー『関心領域』

JamiroquaiのVirtual Insanityみたいなアイデア一発勝負の映画だったらどうしよう...などと思っていたが、全くの杞憂。ひとつひとつのショットや演出の完成度が高く、全く退屈しないどころか、気づいたらエンドロールが流れていた。そもそも自分が結構あのMVを好んで観ている人間であることも思い出した。あのMVでJKが着てるフリース可愛いので、同じものを探していた時期もある。

こうした

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濱口竜介『悪は存在しない』

濱口竜介『悪は存在しない』

観終わった直後は、濱口作品がこれまで表現してきた他者の理解不可能性がゴツっと投げ出されたようなある種の粗さが感じられたが、思い返せば思い返すほど緻密にコントロールされた要素が次々と思い返される不思議な映画だった。

「悪は存在しない」というタイトル(とそれがもたらす挑発)が、映画を観る態度を決定づけているというか、観客はある程度「本当かよ」とか「するだろ普通に」とか思って観るわけで、その時点で映画

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クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』

クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』

クリストファー・ノーランの長編12作目。率直な感想として、ノーランが人間という存在の抱えた矛盾や複雑さの描写に挑み、またそれに耐えうる形で一つの作品を完結させていたということにある種の感慨を感じた。

これまでのノーラン作品は“時間”をシャッフル・並行・深化させていくことで、映画というメディア独自の表現を模索していたように思われたが、それはある意味で表層的なレベルのトリックに留まっていたように思う

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三宅唱『夜明けのすべて』

三宅唱『夜明けのすべて』

三宅唱の長編作品としては8作目。原作は瀬尾まいこの同名小説。あらすじは以下の通り。

藤沢と山添について

『ケイコ 目を澄ませて』において、ケイコという女性がボクシングを通じて様々な葛藤と“格闘“する様子が描かれたのに対し、『夜明けのすべて』においてはそれぞれPMSとパニック障害という生活上の困難を抱える二人が主人公に据えられた。下に引用したインタビューで述べられている通り、本作で藤沢と山添は常

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バス・ドゥヴォス『ゴースト・トロピック』

バス・ドゥヴォス『ゴースト・トロピック』

終電車の中で眠ってしまった女性(ハディージャ)が徒歩で自宅に帰る一夜を描いたベルギー映画。この映画を観ていて、自分自身が終電を寝過ごして終点まで行ってしまった過去と、寒さを感じながらもう二度と通らないかもしれない道を進んでいく時の不安と高揚と解放感をない混ぜにしたような、不思議な感覚を思い出した。

この映画は一人の女性の日常に突如出現した冒険譚としても(そのチャーミングさ、愛嬌に溢れた描写の連続

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シャンタル・アケルマン「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」

シャンタル・アケルマン「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」

6年前に夫を失い、16歳になる息子と二人暮らしをしている女性の3日間を3時間21分かけて描いた映画。劇伴は一切ないが、延々と反復して続けられる家事の音が、いつの間にか一つのリズムを作り、長尺の映画の間延びを防いでいる。映画の大半を家(買い物に出る時は外)を動き回る主婦を定点的に映すカットが占めるが、主婦が部屋を出る時に部屋の電灯を消す音、そして一気に灯りを失う画面全体が、映画にハッとさせるような抑

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濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』

濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』

「寝ても覚めても」に続く、濱口竜介の商業映画2作目。「親密さ」「ハッピーアワー」が人生ベスト級に好きな映画であるため、この作品の公開を心待ちにしていた。本作の骨組みは村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(『女のいない男たち』所収)である。また『女のいない男たち』に収められた「シェエラザード」に登場する主婦の設定が家福の妻である音の設定に、「木野」で妻の浮気を目撃する男の設定がそのまま家福の人物設定に用

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8 1/2

8 1/2

映画とは、あくまで世界の不完全な再現に過ぎない。役者の演技、衣装、小道具、台詞、照明、音響、といった構成要素は、それぞれ世界の一通りの解釈を示す記号であり、世界そのものに対する代替品としてスクリーン上で像を結ぶ。それは、味覚/嗅覚/色覚/触覚を欠く夢のように、ふらりと立ち現れた虚像である。我々は外界から隔絶された暗い部屋に自ら入り、その虚像を見つめ続けている。

自身の分身ともとれる映画監督グイド

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