夜叉ヶ池
5/1 23:20にNHK BSプレミアム「プレミアムステージ」で放送された、SPAC-静岡県舞台芸術センター公演 「夜叉ヶ池」の感想です。
テレビ越しの舞台作品の観劇なのに、その後、何も手につかなくなるくらい衝撃を受けました。こういう大きな衝撃を受ける観劇体験というのはたまにあるのですが、観た後、日常生活に支障をきたすレベルなんです。
ふと、思い出したシーンから連想が広がり、そこで湧き上がるただ感情を整理するためにトイレに駆け込んだりしてました。この時点では、何が良かったのか、何がそんなに心に迫ってきたのかと聞かれても、上手く整理できていませんでした。
数日経ち、ツイッターで散文的にアップしていた内容のまとめとして、この文章を書いています。
この脚本『夜叉ケ池』(やしゃがいけ)は、泉鏡花が1913年(大正2年)に発表した戯曲をSPACで公演したものだそうです。
<ストーリ>
あるところに龍神が住んでいるという池があり、定期的に鐘を突かないと川が氾濫するという伝説がありました。そこでは大昔雨乞いのために若い娘が生贄としてささげられたという話もあるとか。
その夜叉ヶ池の鐘撞男の住む家に諸国を旅して民話をあつめる学者がやってきました。その家には百合という美しい娘がおりました。
その百合の夫という男は、3年前に消息を断った学者の友人でした。彼が、鐘撞男としてその家に住んでいたのです。
旧友との再会、そうなった不思議な経緯を聞いた学者は、龍が住むという夜叉ヶ池を是非見たいと二人で池へ出かけました。
百合は夫が一時的にでも家を離れることに寂しさを感じ、息子として可愛がっている人形に歌を歌って聞かせるのでした。。。
<感想>
上記のストーリから予想外に展開していく話は、僕自身の中の醜さを白日の下にさらすものでした。
3つの点でまとめていきます。
・美しい存在への好奇と不安が、自分の中にもあるということ
・その下卑た好奇が、2人を死に追いやるという事実
・そしてその話自体は繰り返されているものであったこと
僕は、百合が龍神そのもの、又は黒幕的な存在ではないかと思って話を追いかけてきました。彼女の姿はあまりに美しく、清く、浮世離れした存在であったからです。
彼女の存在は美しいものへのあこがれと同時に、好奇の対象でした。それは、その村人達が百合を見る視線と同じものだったのです。そう、恥ずかしいことに、村人達の下卑た笑いと同じ。
村人達は百合を、雨乞いの生贄にしようとします。彼女を雨乞いの生贄としようとする行動は、なすすべなく続く日照りに対し、過去に有効だった手立てとして、8000の民の命を救うための義侠心故の行動と語られます。
しかしそこにある、男たちの視線はこの世ならざる美しさを持つ娘を裸にして牛に括り付けるという手順への卑しい期待と欲望でした。
まるで自分が手に入れられなかった美しい娘への復讐のようだったのです。
英雄が生贄とされる「美しい」娘を救い出す話は、世界各地の伝説や神話にあります。
英雄が救い出す娘が美しいのは、ある意味話を彩るためだと思っていました。
ですが、英雄が出てこないとき、美しい娘は生贄として死んでいたのです。殺されていたのです。
もしかしたら、その美しさが、嫉妬の対象であり、そして罰であるかのように。
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夜叉ヶ池にいるのは、白雪という名の美しい龍神でした。
龍神がその池を離れるとその土地には氾濫が起き、その川の流域一帯は水の底に沈みます。
姫には恋しい人がおり、その人と会うには、その土地を離れる必要があります。
彼女は「人間の命がどうなるかなど知ったことではない。恋の前では我が命さえ捨てられる」と思いの強さを訴えます。
それでもなお、彼女たちがその土地を離れないのは、人間が鐘を撞くという約束を守っているから、そしてその土地には美しい人がいるから。
白雪は、恋しい人を思って歌う百合の歌を聞いて、自分の恋心を抑えます。
百合を渡すまいと、夫と友人が村人と戦うなかで、この白雪は実は大昔に雨乞いの生贄としてささげられた娘であることが語られます。
白雪自身にはおそらく人であったころの記憶はもうないのでしょう。
彼女はおそらく百合と同様な男たちの視線の中で死んでいきました。これは繰り返されている儀式なのです。
生贄になることを拒否する百合と夫に対して、説得、脅迫、教養、恐喝、そして暴力で目的を達そうとしました。
埒が明かない混乱の中、「こうすれば皆の望み通り」と百合は自らの胸に鎌を突き立てます。
彼女はおそらく、村の中で身寄りのないものとして、美しい外見を持つものとして、
またこの世ならざる雰囲気の持ち主として、好奇の目にさらされて村で生きてきたのでしょう。
様々な不安の中で生きていく中、初めて自分を人として見てくれたのがその旅人として訪れた夫だったのでしょう。
その夫が自分を命がけで守ってくれていること自体に、もしかしたらありがたく思ったのかもしれません。
そして、その夫の妻として、誇りをもった死を選ぶしかなかったのかもしれません。
夫も彼女の後を追い、鐘を撞くものがいなくなった今、白雪を止めるものはありませんでした。
龍神である白雪の行動は、復讐ではなく愛する人に会える喜びに満ちた、解放そのものでした。
その光景を、学者である友人はただ書き留めます。愛し合った二人が確かにここにいたことを伝えるために。
二人がが死ななくてはならなかった人の世の醜さの中で、
雨乞いの名の下に死んでいった若い男女への鎮魂の物語でした。
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舞台が大正時代だからか、難しく全てのセリフを理解できた訳ではありませんでした。
マスク越しの発声で聞こえにくい役者さんもいあした。それでもなお、それがよりその世界を創り上げるのに役に立っていた。
この作品は、また観たいのに、僕の心への衝撃が大きくて再生ボタンをもう一度押すことがまだできません。
それでも僕の頭の中は、まだ色んなシーンで埋め尽くされています。なんかとても大切にしたい観劇体験でした。
この公演を見させてくださって、ありがとうございました。
NHK BSプレミアム「プレミアムステージ」
SPAC-静岡県舞台芸術センター公演 「夜叉ヶ池」