釣り人語源考 カゴカキダイ
畔田翠山が著した『水族志』の中に、「ヒダリマキ」という魚が登場する。
現代では「ヒダリマキ」というのは「タカノハダイ」「ユウダチタカノハ」「ミギマキ」といったタカノハダイの仲間の地方名だとされ、この『水族志』の59番「ヒダリマキ」もタカノハダイであると解説されている。
しかし魚の説明文を読むと、全く違う魚を記述している。
地方名の解説は後回しにして、まずは魚の特徴の記述部分を検証してみよう。
鯿魚の一種なり。形状は「チヌ」に似て、短く𤄃い。
口は小なり。眼より背鬣に至り隆起する。
背鬣は淡い黒色にして上下に相連なる黒い條がある。
体色は背が淡い黒をして黄色を帯びて、腹は黄色。
頭から尾にかけて6本の黒い條がある。眼にも黒斑がある。
尾ビレは淡い黒色で岐になっている。
脇翅(胸ビレ)は尾と同じく、腹下翅(腹ビレ)も同じくして黄色を帯び、腰下鰭(尻ビレ)のトゲは黄色で、その下のヒレには黒斑がある。
背ビレと下のヒレが尾の方に相並ぶこと、「ハス(イシダイ)」に似て、短く圓し。
細鱗あり。
黄色くて黒いタテジマを持つ薄っぺらい魚といえば、「カゴカキダイ」だろう。
記述ともピッタリだ。
以前はチョウチョウウオ科に属していたが、トリクティス幼生期を経ないため独立してカゴカキダイ科を立てたが、イスズミ科と近縁であるので将来的にイスズミ科に編入されるかもしれない。
しかし「白身で最上級のうまさ」とも言われている魚だ。
「カゴカキダイ」の由来は、「駕籠かき」の人達の肩の僧帽筋がガチムチに発達して筋骨隆々な様子を、この魚体の隆起の様子を譬えたものである。
「キコリウオ」と同じく、肩の筋肉が発達した職業に由来する地方名だ。
職業に由来する、多様な魚にスミヤキ・キコリ・カゴカキが名付けられているので早とちりに注意だ。
では「ヒダリマキ」の由来は何だろう。
「ヒダリマキ」というのは通説では「ネジ」の事だと言われている。
斜めに黒帯が複数まっすぐ走る様子をネジで形容してるのだろうか。
カゴカキダイのタテジマは確かに僅かに斜めに見える。しかし現代の地方名には残っていない。
しばらく考えて、ヒダリマキ = ネジ説はやはり納得出来ない。
種子島に鉄砲が伝来してから現代まで、ずっとネジは右手で時計回りに締めると進む、「右巻き」が基本である。
それは最新の工業が発展した現代日本社会でもずっと変わらない。
もっとよく考えたら、江戸時代での「左巻き」とは何だと言えば、それは「アサガオ」の事だろう。
園芸の界隈では、伝統的にアサガオの様に蔓の先端が左方向に曲がりながら這い上って行くのを、植物の上方向から見て反時計回りであるので「左巻き」と定義している。
要するに便宜的に「朝顔は左巻き」と覚える、としている。
魚の身体に、規則的な斜めの線が4〜5 本入っているならば、「アサガオの蔓」に見立てて「ヒダリマキ」と命名したのではないか。
では『水族志』の「カゴカキダイ」の地方名を調査していこう。
「カイワリ」紀州雑賀崎浦
「カイワリ」は現代ではアジ科カイワリ属「カイワリ」や、それに近縁の種に付けられていて、「尾ビレの様子が、二枚貝が開いたような"植物の双葉"に似ているから」というのが定説となっている。
漢字で書くと「貝割り」で、「カイワリ大根」の由来となっている。
しかしカゴカキダイの地方名に「カイワリ」があるのが間違いないのであれば、その語源は定説とは全く違う可能性がありそうだ。
「かいわり」を辞書でよく調べると、「卵割り」と出てくる。
古くは「卵を割ったような形」を「カイワリ」と呼ぶようだ。
カゴカキダイの地方名を調べると「タマゴイオ」(和歌山)とある。
これはやはり「カイワリ」とは貝割ではなくて「卵形」の魚体を指しているのではないだろうか。
口が少しとんがっていて、お尻の方が丸い形の魚ということではないか。
カゴカキダイの地方名「ヨバシメ」はちょっとよく分からない…
「ツバクラ」はツバメの事で、現代では「ツバメウオ」の幼魚や「ツバメコノシロ」の胸ビレの様子から和名が付けられている。しかしカゴカキダイからツバメはなかなか連想は難しい。
「スミヤキ」という名前を持つ魚は非常に多い。
炭焼き職人の顔が真っ黒である事を揶揄する言葉で、魚の顔が黒かったり眼に黒線が通っていたりすると、ほとんどスミヤキ認定だ。
「カシマ」「ヒロシマ」はちょっと面白い。
地名だと思うが、たぶん「タバコ」の隠語ではないかと思う。
根拠として、愛媛県の島嶼部の方言で、「広島にタバコを買いに行く」というのがある。
意味は「(その人は)亡くなった」である。
「〇〇さんは最近見ないね」
「ああ、あの人は広島にタバコ買いに行ったよ」
と使うらしい。江戸時代でも広島は大都会だった。
「タバコ」はまた後でまとめよう。
「バクチウチ」は現代では「カワハギ」・「ウマヅラハギ」などの地方名として残っている。
意味は「博打で金をすって身ぐるみ剥がされてスッカラカン」と、カワハギが皮を剥がされて魚屋に並ぶ様子を掛けている。
しかしカゴカキダイではどうなんだろう…
おそらくだが、お金を入れる財布(巾着)に似た模様で、魚体がペッタンコな様子から「財布が空っぽな博打うち」に譬えたのかも知れない。
「巾着(きんちゃく)」もまた後でまとめよう。
「シマイヲ」「マブシ」「ギッパ」は、カゴカキダイの地方名として現代でも残っている。
「シマウオ・シマイオ」愛媛県宇和島、三重県伊勢
「シマダイ」富山県新湊
「シマキリ」愛媛県川之江
縞状の模様に関連した名前として、
「スイヘイウオ」長崎県壱岐
「ヨコシマ」三重県尾鷲
「タテジマ」富山県東岩瀬
それと「ハンシンタイガース」徳島県南部だそうだ。
高知県安芸市で春季キャンプするからだろうか…
「マブシ」は土佐の浦戸であるが、意味は何だろうか?
鳥などを漁師が鉄砲で狙う時に、木や草で隠れる様に囲うものを「射翳」という。柴で編んだ垣の様な模様だから「射翳・まぶし」と呼んだのかもしれない。
カゴカキダイの台湾名の一つに「柴魚」とある。
また「タテグシ」という地方名があるが、「竪櫛」とは縄文時代から古墳時代に用いられた櫛である。
これとも関係があるかもしれない。
「ギッパ」尾張国知多
「ギンパ」茨城県大洗
「キイゴッパ」和歌山県白浜
織物の技法に「銀波」というものがあるらしい。
「斜子織りの地に、平織り、または縦糸の斜文織りか、繻子織りで紋様を織り出したもの。」
…なるほどわからん。
検索してもサッパリわからん。
斜めに模様が出る織り方であるのかもしれない。
「テングノハ子ウチワ」は、「天狗の羽団扇」しかないな。
「コセウダヒ」(現代のセトダイに比定)の地方名に「テングウチワ」が書いてあった。
植物では「ヤツデ」の別名で「テングノハウチワ」がある。
「シウリ」と呼ばれる魚は多い。
そして「シウリ貝」とは東北や茨城千葉付近で「イガイ」のことを呼ぶ地方名だ。
「シウリ」はおそらくアイヌ語と深く関係する。
アイヌ語で「シウ」は「苦い」という意味だ。
しかし「カゴカキダイ」や「イガイ」は苦くはない。
イガイを食べると旨味成分が多くて「濃い!」と感じる。「しょっぱい」に似た味覚でなんとも言い難い…。
そしてカゴカキダイは旨味成分が豊富で「最も美味い魚」とも言われている。
「シウリザクラ」の実は熟すと黒くなって、熊の大好物である。人間も食べることが出来るし果実酒にも利用される。
おそらくアイヌでも古代本州でも、野草や貝や一部の魚が持つ「独特の濃い味」を「シウリ」と表現したのではないだろうか。
「苦い」は誤訳となるだろう。
さて「タバコ」という魚名を調査しよう。
カゴカキダイの地方名を検索すると、
「タバコ」和歌山県串本
「タバコリ」紀伊半島南部
「タバコイレ」串本
「タバコボン」伊豆地方
「モクバカ」
が煙草と関係する名前となっている。
これらは江戸時代のギャルやメンズのファッションアイテム「煙草入れ」からの命名ではないか。
江戸時代初期、「南蛮人からの贈り物」ということで「喫煙」が流行した。
喫煙が広まる初期頃は、「火打ち石」を入れる「宝蔵袋」や、喫煙セットを入れる「火打ち袋」がいわゆる「煙草入れ」と言われた。
そのうちだんだんと改良されて「巾着袋」というオシャレアイテムに変化していった。
「キンチャクダイ」はおしゃれな縞模様を見ての命名だ。
カゴカキダイの鮮やかな縞模様と、口がキュッとなった様子を「煙草入れ」や「巾着袋」に譬えたのだろう。
…地方名を調査してあれこれ考えると、様々な知識が蓄積されて、他の古書の魚名もなんとなく推理出来てくるのが実感される。
これまで「釣り人語源考」を読まれた方々もだんだんと昔の人達の考え方や習俗が分かるようになって来たと思う。
そして現代でも日本人として脈々と受け継がれた文化がまだまだ生き残っている事に感動するだろう。