発達障害でも生まれつきコミュニケーションが苦手な人などいない
発達障害(特に自閉症スペクトラム障害:以下ASD)のある人でコミュニケーションを苦手とする人は多いと思います。
児童精神科医であるローナ・ウィングさんによると、ASDには3つの大きな特性があり、そのうちのひとつが「コミュニケーションの特性」です。
(参考:ローナ・ウィングの3つ組み)
・社会性の特性
・コミュニケーションの特性
・想像力の特性
つまり、ASDの傾向がある人は多かれ少なかれ、ふつうの人とは違うコミュニケーションの特性があり、時と場合によってはコミュニケーションで悩むこともあります。
ASD当事者である私も、コミュニケーションは決して得意ではありません。脳の器質による、先天的な理由もあるでしょう。長々とした話を覚えきれなかったり、とっさに返答ができなかったり、努力では解決しにくい問題です。
それでも、ASDのある人がコミュニケーションを苦手とするのは、後天的な理由の方が強いのかなと思っています。後天的な理由とは何か。コミュニケーションに対してというよりも、人に対する苦手意識です。
ASDがあると人が苦手と感じるのはなぜ?
もちろん例外もあると思いますが、なぜASD当事者は人を苦手と感じるようになるのでしょう。
自分が子どものころから周りの人から苦手とされたから、自分も周りの人が苦手になった……と考えられます。
ちょっと想像してみてください。あなたがASDのある子どもで、ASDであることは全く知らなかったとします。自分が何か喋るたびに、クラスメートが以下のような反応を示したらどう思いますか?
顔をしかめる
そそくさと離れていく
遠くからコソコソと陰口を叩く
「○○ちゃん、おかしいよ!」と非難する
このような反応が小・中・高校……と重なっていけば、不安でたまらないまま大人になりますよね。
いわゆるふつうの子たちは、ちょっと個性的なASDの子への接し方が分からないだけなのかもしれません。それでも、このようなクラスメートに囲まれたら、ASDの子もどう振る舞えばいいのか分からなくなって当然です。
コミュニケーションとは、学ぶことにより身についていくもの。ASDの子がふつうの子たちの反応を真似して、ぎこちないコミュニケーションしか取れなくなったのだとしたら、それは悲しいほど学習能力のある証拠です。ASDの子は空気を読めないと誤解されがちですが、ある一面、痛々しいまでに人の心を読んでいると思います。
コミュニケーションの形が違うだけで、苦手なのではない
じゃあ、ASD当事者の私が生まれつきコミュニケーションが苦手だったのかと言えば、決してそうではないです。ふつうの人と単にコミュニケーションの形が違うだけ。発語は遅かったようですが、読み書きができるようになるのは非常に早かったそうです。物心ついたころから紙に文字を書き散らしてばかりいましたし、今もこうしてネットに文字を打ちこんでいます。自分と共鳴できる人と言葉を通して繋がりたいという思いは、子どものころよりもますます強まっています。
おそらくASDがあるからといって、生まれつき誰ともコミュニケーションを取りたくない人などいないはずです。ディベートが得意な人、図解がうまい人、楽器を奏でられる人、いろいろな人がいるでしょう。自分らしいコミュニケーション方法で、誰かと心を通わせる体験を重ねていけば、苦手意識から解放されるに違いありません。
後天的なものは変えられる可能性がある
発達障害のある人がコミュニケーションを苦手とする理由が、先天的なものより後天的なものの方が強いのだとしたら、私はそのことに希望を抱いています。先天的な特性は変えられなくても、後天的な苦手意識や人間関係は少しでも変えられる可能性があるからです。
私は子どものころ、上手くコミュニケーションを学ぶことができませんでした。それでも自分のコミュニケーションに伸びしろがあるとすれば、本当に大切な言葉を、本当に大切な人に伝える力を育てていきたいです。
大人になった今では、クラスメートのような人たち全員と無理に仲良くなろうとは思えません。ネットで千人万人とすれ違ったとしても、たったひとりのあなたに言葉を届けることができたら、それで本望です。